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考えろ、考えろ、考えろ 伊坂幸太郎×大須賀めぐみ『魔王 JUVENILE REMIX』 [漫画]

久しぶりになりますが、思い出したかのように更新いたします。 

思い出しついでを申しますと、『ONE PIECE』が2017年で連載20周年だそうで。
いろいろと話が展開していますが、本筋の進み具合を考えると、随分とちんたらやっているな
と思わないでもなかったりします。

と悪く言っても仕方ないのですが。
それにしても、20年か…、と思います。そんなに経っていないのでは、と思ってしまいますね。

そんな、いつの間にそんなに時が経ったの?と、思うことが先日ありましたので、
それに関して今回は書いてみようと思います。

DSCN0022.JPG 

そんなわけで、タイトルの通り、
伊坂幸太郎×大須賀めぐみ『魔王 JUVENILE REMIX』(小学館)
全10巻です。

奥付を見ましたら、2007年から連載が始まった作品なんですね。 
数年前の作品とばかり思っていましたが、いつの間に…、と思ってしまいます。

この作品、連載当時は、連載の途中から、掲載誌できちんと読むようになりまして、
タイミングを逃してしまって単行本でも追うことなく、
面白かったなぁ、と思ったまま、そのままになっていた作品です。

それが、先日、何故か、ネットでサイトを眺めていると、ちょいちょい入ってくる宣伝の中のひとつに、
「古本のセットで、買ってみてはどうかね?」と言わんばかりに、やたら推してくるため、
縁を感じ、上記の画像の通りとなりました。 

どんな作品かという点についても。

再開発が進んでいるものの閉塞感が漂うある町が舞台。
行政主導で再開発を進めているものの、その閉塞感が打開されるとは思えない。
そんな明るい展望が見えない中、一人のカリスマ「犬飼」が現れ、それに盲目的に信奉する人たちが増えていく、
それに対し、自らの頭で考えずに皆が煽動されていくことに違和感を感じた主人公「安藤」は、警鐘を鳴らそうとするのだが…、
という話です。

この辺りは、短絡的にものを考え、分かり易い人に乗っかっていくような今の世相に通じる所があると思います。

少し具体的に作品について話しますと、
皆が人に流されていく大きな流れ「洪水」に対抗するのに、一個人の力ではあまりに小さすぎるため、
味付けとして、異能を主人公に付与し、サイキックバトルのテイストが混じってきます。

作品の主人公「安藤」が持つ異能は、「腹話術」。
それは、自分が思っていることを強く念じることで、他者に思っていることを喋らせることができる能力。
…まったくもってバトル向きではない能力なのですが、これを武器に「安藤」は周囲の大きな流れにあらがいます。

また、作品中「安藤」が「犬飼」に対して他の人と異なり、危険なものを感じ、犬養と対決することになっていくのですが、
そのきっかけは、普段見せる顔と異なる裏の顔を垣間見たことがあります。
この点は作品世界にも反映していて、一般社会とは別の、アンダーグラウンドの社会が多く描かれることにもなっています。 この辺りが漫画的というのか、ちょっと現実離れしている印象を与えてしまうように思います。
そこはそれ、漫画ということで。 

そして、作品のタイトル「魔王」ですが、普通に考えると、人をひきつけ煽動していく、「犬飼=魔王」なのですが、
はたして…?というところも読んでいて、楽しいです。
「寄生獣」のタイトルにも通じると言いますか、むしろ「魔王」の方が、より上手いと感じます。 

ところで、この作品、私が面白い、と思ったところは、主人公が「考える」ところ。
難しい問題に直面したり、自分の手に負えない、どうしようもないと感じたりしたときに、
「自分にはどうしようもない」「無理だ」と、あきらめてしまって、誰かに判断を委ねてしまうのは楽だし簡単なんですが、
それをずっと推し進めていくと、終局的には、今問題となっているポピュリズム、ひいては独裁を許す事態に陥ってしまいます。

自分に与えられた条件の下、何ができるのか、主人公はひたすら考えます。
そして、「犬飼」を絶対視して、犬飼のいうことは絶対だと、考えることを放棄すること、大多数の人間がそうするからと
流されていくことを危険視して、「考えろ!」と呼びかけます。
私自身も、考えるということの重要性を感じることが多いので、この辺りがいいんですね。

私は、仕事などで、どうやるのか、自分で考えずに、他者に「答え」を求める人が嫌いです。
人に訊いたらこう答えられたから自分はその通りにやった、だから自分には責任がない、
と責任を負わずに、楽に仕事をしようとする人が嫌いです。
無論、どうやったらいいのか、見当もつかないことはあるでしょう。
その際に、助けを求めるなというものではないです。ただ、自分にできることをやり尽くして欲しいと思います。
そして、安易に考えることを放棄して、自分には責任がないと人に下駄を預けるな、と言いたいのです。 

そんなことを感じられるこの『魔王 JUVENILE REMIX』 という作品、機会がございましたら、一読していただきたいものです。

ただこの作品の入手は、伊坂幸太郎の原作は文庫化されていますが、コミックの方は文庫化されていないみたいで、
古本以外で入手するのは難しいかもしれません。
何ででしょうね。拙さが目立つと感じて、文庫化を嫌がっているんでしょうか。
…良い作品だと思うので、もっと簡単に入手できるようになってほしいものです。

という事で今回は、最近本を読む時間が取れていないので、時間を作ろうかなぁ、と思うきっかけにもなりました、という話。 


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少年は光をめざす -木口糧×若松卓宏「盤上のポラリス」- [漫画]

元々は自分に備わっていないのに、ふとしたところから、または人から、面白いことを知ったりすることがあります。
ひとつ具体例をいうと、私の場合、今の仕事に就く機会を与えられたのが、前職の方の一言でした。
こんな資格があり、やれることが増える。私が貴方の立場なら、こんなところにいつまでもいないで、その資格を取って、違う事をする、とそんなことを言われ、数年後、確かに仕事を変えることになりました。

給料は安くなってしまったので、経済的にはそれが良かったのか、微妙なのですが、前職はもう続けられないと思ったので、違う職に就けるスキルを見つけられたのは、きっと良かったのだろうと思います。

漫画においても、自分の知るところからは、決して読むことのない漫画を、ふとしたことから読む機会が得られたりすることがあります。今回はそんな漫画を採り上げたいと思います。

ということで、木口糧(原作)、若松卓宏(作画)「盤上のポラリス」(講談社)です。
現在、月刊少年マガジンに連載されていて、単行本は3巻まで刊行されています。 

ざっくりとしたあらすじなどを申しますと、こんな感じ。
舞台は長崎の離島。小学五年生の一兵は、伝説の勇者にあこがれて冒険に出ることを夢見ていた少年。冒険に行きたくても行けないと実感してしまった経験があり、でも冒険に行きたいと胸に秘めながら日々を元気に過ごしている。
そんなとき、病弱な女の子(で、可愛い)の転校生ひめが気になり、自分と似たところを感じ惹かれていく。
彼女の夢は、チェス盤の上を冒険していき、チェスのグランドマスターを目指している。一兵は、彼女とチェスをすることで盤上の冒険の世界を見て、新しい冒険の世界を見出す、という話。

作品としては、しばしばみかけるパターンを複合しているものですね。
一つは、門外漢のものが新しい世界に触れ、その世界における才能の一端が見られて…という、「ヒカルの碁」も同じパターンですね。丁度、二人で行うボードゲームという辺りも同じだったりします。
もう一つは、新しい世界の扉を開く端緒となったのが、主人公の少年が少女に出会って…という、a boy meets a girlなパターン。
そして、新しい世界に飛び込んだ先に現れる、強いライバル。…何か王道ですね。

では、陳腐なものでさして面白くないかというとそういう事ではなく。
周辺のキャラクターが次第に出てきて、ただメインを埋没させずにいいバランスで配置されていて、また作品を盛り上げる時の演出が、なかなか秀逸ではないかと思います。少年誌のワクワク感がしっかり出ていて、良いですね。
主人公一兵の才能の一端の描き方が、盤上に光を見出し、そこに至るにはどうしたらいいか、という描写も個人的に好きです。
王道的な展開をいかに見せるか、演出面に心地よさがある作品ではないかと思います。
そして多分、ライバルの父のモデルは、実在のチェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーなのかな?と思わせたりして、遊び心もあるところもまたいいなぁ、と思います。 

この作品、掲載誌が月刊少年誌で、自分ではなかなかそこまでフォローできないところです。
多分、私がこの作品を知ったのは、amazonの自分へのおすすめで挙がっていたからだったと思います。
検索や購入履歴からおすすめをリストアップするものだと思いますが、なかなか侮れないなぁ、と感じます。

余談ながら、私の場合、いくつか書籍のネット通販のサイトを利用しているのですが、それらのおすすめを見て、新規の開拓をしてみることがあります。…まあ、たまにハズレますけどね。 

という事で今回は、少年は荒野をめざすという言葉が似つかわしい作品だなぁ、と思っていたら、吉野朔実の同名の作品を未読なので読んでみたいなぁと、こんなふとしたところから興味が広がっていきまして、まさに冒頭で話したことにつながってオチがつきました、という話。 


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外見とは裏腹、見た目通り、人が好き -安藤ゆき「町田くんの世界」- [漫画]

あまり間を置かずに更新。 

なんとかしてこのくらいの間隔でアップの習慣をつけたいです。もっと頻度上げないとダメな感じもしますが、まあ、無理しても続きませんし。 

で、今回は、表題のある通りの作品になりますが、少女漫画に分類される作品について少し書きたいと思います。
安藤ゆき「町田くんの世界」(集英社)になります。

どんな作品かというと、こんな感じ。
主人公の町田一くんは、高校生の16歳。物静かでメガネの外見で真面目なのですが、要領が悪く、不器用。
学校の成績は、追試の対象になったりするくらい、よろしくない(メガネなのに)。
で、外見に似合わず運動神経が優れているのかというと、こちらはみたまんま。こちらもあまりよろしくない。
本人もそれを自覚していて、自分に得意なことなんてあるのかと思ったりします。
でも、周囲から彼は恰好良いと言われたりしますし、愛されています。
それは何故かというに…、という話。

描線は、マーガレット系というのか(私の偏見かもしれませんが、マーガレットで描いている方はそこそこの割合で描線がやたらと細い印象があります)、丸ペンで描いた極細の描線。 背景の家や家具などは、写真をもとに手描きしているんでしょうか、リアルな感じですが、硬質な感じではなく、作風にマッチしているように思います。

作品内容の感想についても。
こんなにすれていない、ナチュラルに人が好きという人物がいる?と思わないでもないのですが、
そこはそれ。ものがたりということで、となってしまうのですが、大事件があっての非現実感ではないので、あまりにリアルから乖離している絵空事、と感じて白けてしまうようなことはないように思います。
適切な浮遊感で、幸せを感じられる作品になっているように思います。 

キャラクターが何でもできるスーパーマンでないところも影響しているのかもしれませんね。
むしろ、真面目だが、要領が悪く、勉強も運動も残念でと、何らかの評価をするなら、「できの悪い人」という設定ですから。

ただ、本当に出来が悪いのかというとそうでもないような気がします。
というのも、人の好さ、という評価は難しいのかもしれませんが、IQであるとか、運動能力といった目に見えやすい、いわゆる認知能力ではない、非認知能力が高いキャラクターなのかなぁ、などと思うからです。
そうであるとすると、主人公はできの悪い人などではなく、見えにくいところの能力が非常に高いのですから、主人公の周囲の評価は決して悪くない、社会的な成功に結びつくのも自然なこと、なのかもしれません。

また、主人公の町田くんの語りは、道化が真理を語るのにも似たような印象があります。
社会をまっすぐに見られない人に対して、愚直なまでにまっすぐに見たことをそのまま伝える。ただ、道化がよくやる婉曲的な人をけむに巻くような言い回しは全くしませんけれども。 道化というより、愚者、の方が適切でしょうか。

…まあ、そんなことを考えずとも、主人公の町田くんの目を通した世界は素晴らしく見えますので、興味を持たれた方は、その感覚を共有していただければと思います。

という事で今回は、「ナチュラルボーン」とか「町田イズム」とか、自分には一切ないなぁ、と思いながら、 町田くんの世界はきれいだと分かるから、それでいいかなと思う、という話。


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久々の更新並びに 芸は身を助く -さだやす「王様達のヴァイキング」- [漫画]

はじめましての方も、久しぶりにご覧になる方もいらっしゃるかと思います。
ブランクがありましたが、何事もなかったかのように再開。
世はヴァレンタインデーですが、その辺りも特に触れずに再開…。

…とはいうものの、書き方を忘れてしまっているでしょうから、
以前をご存知の方からしますと、趣やら何やらも変わってくるかもしれません。
その辺りは適当に流してご覧いただければ幸いです。

そして、何事もなかったかのようにとはいうものの、完全スルーも変な感じなので、多少触れておきますと、
中断する前との変化も、プライベートではいろいろ変わっていますね。

中断前にも書きましたが、仕事が変わりました。それで、一番酷い頃ほどではないにせよ貧乏に逆戻りしてますし、引っ越ししましたし、老眼になりましたし、所帯持ちになりました。

…大いに変わっていますね。

ただ、本質はあまり変わっていません。
漫画を大量に山積みにして、適当に読んでいるのは相変わらず、です。
未読率が上昇傾向なのがげんなりします。「貧乏暇なし」を地で行っております。

とまあ、自分についてさておき、相も変わらずの漫画の話でもできればと思います。

最近読んでいるものについて、徒然と挙げていければと思います。

今、目の前にあるものを挙げますと、
さだやす「王様達のヴァイキング」(小学館)があります。
スピリッツに連載中の作品で、今のところ9巻までが刊行されていると思います。
ので、ご存知の方からすれば何を今さらなんですが、どんな作品かと言いますと、こんな感じ。

サイバー犯罪を扱った作品で、主人公は元犯罪者(クラッカー)の凄腕の技術者(ハッカー)※の、是枝。

※作中触れられていますが、ハッカーとはCP技術に秀でた者の称号であって、
不正侵入等悪事を働く者のことはクラッカーと呼ぶそうな。

ただ、バイトも全然続かず、すぐに馘になってしまうような、日常生活に支障を来すほどの、
いわゆる「社会不適合者」なのですが、ことコンピュータのことに関しては、常人にはできないことができてしまう天才。
そして、その彼の才能を見出し、世界を征服しようと持ちかける投資家坂井が現れて…という話。

私の思うところとしては、
実際のところ、作品で描かれていることが現実可能なのか、どれだけリアリティがあるのか、
私には全然分かっていなかったりするのですが、その理屈はあまりわかっていなくても、爽快感のある作品に仕上がっています。

また、サイバー系の話と聞くと、その響きから妙にスマートというのか、
クールな印象を受けがちですが(私がアナログだからでしょうか?)、
アツさを持った疾走感があります。
そして、社会に適合できず自らを否定的にしか見られない是枝が、
秀でた一芸しかないのなら、それを突き抜けてやり尽くせと周囲に後押しされながら、
成長して自分の居場所を作っていく、その成長がいい感じな作品です。 

閉塞感を感じていて、それを破る爽快感を求めている方にお勧めの作品ではないかと思いますので、
そう感じている方はご一読されてみてはいかがでしょうか。

 ということで今回は、自分はやりたいことができる立場で、かなり好き勝手やっているので、
閉塞感は感じないのですが、周囲が乗ってこないなぁ、というのがストレスです、
または、コンスタントに更新できるようになるといいなぁ、という話。


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貧乏料理と文学と私-高尾じんぐ「くーねるまるた」- [漫画]

安倍吉俊「NieA_7」のまゆ子の科白だったか、貧乏であっても「貧乏くさいじゃない!」と、貧乏人なりに見栄を張るというのか、そういうシーンがありました。
貧乏という状態を今日明日に改善する、というのはいかんともしがたい。けれども、だからといっていかにも貧乏に見えるのは格好悪い(そこは見栄を張るなどして対処できる)と、そんな微妙なプライドを覗かせるシーンでした。

私自身、バランスシートでいうと、4~5年ほどだったか、いかに切りつめても月平均1万程度足が出る、いわゆるワーキングプア(以下)な生活をしていたことがあります。
それで、一時期改善されたものの、再就職に際し、また、結構ぎりぎりの生活を与儀なくされる(蓄えを切り崩せば当座は問題ないですが…)生活に逆戻りとなっていたりします。

…と、何故いきなり貧乏話かと言いますと、今回取り上げる作品は、基本、経済的に余裕のない女の子が主人公のものがたりのためです。 

ということで、今回取りあげるのは、
高尾じんぐ「くーねるまるた」(小学館 現在2巻まで)
になります。現在も、ビッグコミックスピリッツに連載中の作品です。

SSCN1272.JPG 

私自身は、この方の作品は、「くーねる…」が初見だったのですが、これがデビュー作というものではなく、いくつか単行本が出ているようです。絵柄が好みな方なので、まだ簡単に入手できるのでしたら、手に入れたいなぁ、と思います。まあ、作品の内容次第でもありますが。…ヤングガンガンかぁ。どんな作品なんでしょうか。

で、絵柄の話が出ましたので、絵柄というのか画風について。
丸ペンを使用していると思うのですが、若干ひっかかりがある箇所が見られることがあります。また、背景にドットのトーンのベタ貼りで、ポップな印象があります。 

トーンで気付いたところとしては、キャラクターの顔の紅潮した際の表現にトーンを使うことはありますが、他の部分では、他の漫画などではよくみられる「立体感を出すためなどに顔にトーンを張る」ことがほとんどない(ごくまれに、つかうこともあります)という辺りや、
背景にもトーンは使用するものの、結構細かい所まで、ペンで表現する箇所がまま見られ(細い線を重ねて表現する箇所が散見されます)、それが全体的にマッチしている、というのが特徴でしょうか。

絵柄の雰囲気はというと、手許にないんですが、窪之内英策に近い感じでしょうか。ポップな印象と、背景の細かさから似ているように感じるのかもしれません。

画力としては、安定している方ではないかと思います。

ものがたりは、ポルトガルからの留学生だったのが、日本を気に入りそのまま残ることにした女の子、マリア・マルタ・クウネル・グロソ(マルタさん)の、貧乏グルメと文学の話。エッセイ漫画に分類されます。
ジャンル的には、日常エッセイものといい、文学といい、個人的に好みです。なので、絵柄などの評価も甘めになっているかもしれません。


惜しいなぁ、と思われるところについても。
単行本に、作品に出てきた料理の簡単なレシピというのか、が載っているのですが、これが簡単すぎて分量等がよく分からず、「ちょっと真似てみよう」と思っても、真似ができません。

この辺り、よしながふみの作品などでは、単行本片手に再現が可能ですから、料理を扱っているのでしたら、少し配慮していただけるとありがたいように感じます。
…はたと気づくに、みんな作品の料理を真似ようとするほど貧乏じゃないと考えられているんでしょうか? そうか? そうなのか? 私が想定外の貧乏なので、上記のように思うのかもしれません…。

あとは…、そうですね。主人公マルタさんの体のラインでしょうか。
モデルのようなスタイルではないように、との意識もあるんでしょうが、食いしん坊な方ということで、ウエスト周りをあまり絞らないように意識して描いているように思います。
…胸が大きめなキャラクターだから、そう見えるんでしょうか。単に、作者のクセなのかもしれません。デフォルメの関係で、他の漫画では、モデルと見まごうばかりのウエストで描かれることがあるので、高尾…の方が写実的というだけで、その対比で気になるだけかもしれません。
ただ、なんとなく、絵柄からすると、もっとウエストを細く描くのが一般的のように感じます。…デフォルメ慣れ?

まあ、それはともかく、構えずにお気楽に読めて、案外薀蓄にも満ちている、そんな作品ですので、上記に挙げたようなところがちょっと気になる方は、ご覧になってみてはいかがかと思います。

ということで今回は、一度、作中にあった夏ミカンのジャムを作ったけど、砂糖減量で作ったので、苦み走った出来になったのは内緒、という話。


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尻すぼみにならぬように-モリエサトシ「星空のカラス」- [漫画]

本当に久々に漫画の単行本について書こうと思います。…恥ずかしながら、何年振り?というくらい、単行本の感想書いてなかったですね。ブログのタイトル、変更した方がいいかもしれません。

それはともかく、従前通り、大したことは書けないかと思いますが、「こんな作品あったんだ」という、ちょっとした気付きの手助けになれば、と思います。 


で、今回取り上げる作品は、モリエサトシ「星空のカラス」(白泉社 現在2巻まで)になります。

私は、女性向け方面は弱いので、存じない方でしたが、この方、結構単行本は出していらっしゃるようですね。

SSCN1266.JPG

カバーはこんな感じ。花とゆめコミックス、基本的なカバーレイアウト変わっちゃたんですよね…。
慣れていることもあって、従前のものの方がどちらかというと好きなんですが、古臭いイメージになってきているので、イメージチェンジということなんでしょうか。
…作品タイトル部分の空白分、カバーイラストが小さくなって、インパクトに欠けるからかもしれませんね。

ただ、言わせていただくと、既存分はそのままに、新規に1巻が出る単行本から変更、の方が個人的にはありがたかったのですが。途中から変わるのは、正直、なんか変な感じがします。

hoshizora1.jpg
コレが…

hoshizora2.jpg 

こんな感じに。…やはり1巻のレイアウトの方が好きなんだけどなぁ。 


ともあれ、作品について。あらすじはこんな感じ。
主人公は、烏丸和歌(からすま わか)という13歳の女の子(1巻のカバーの娘さん)。でも、年齢と名前を伏せて、従姉の名を借りて囲碁を打っている。それは、囲碁を打つのを母に反対されているから。そんなある日、「オレ様」な、傲慢で軽薄な若手棋士鷺坂総司(さぎさか こうじ 2巻のカバーのにいちゃんに出会って…、という話。

画力的なところを申しますと、のっけから、否定的で申し訳ないのですが、単行本の数の割には…、という印象が否めません。
他の作品を知りませんので、えらそうに決めつける意図はありませんが、この方、絵柄に重きを置いている方ではないように思います。

特筆すべきは、やはり題材が囲碁ということではないかと思います。女性向けで、囲碁というチョイスが面白く感じられます。ジャンプで「ヒカルの碁」が先行してヒットしましたので、前代未聞というものでは決してありませんが、なかなか興味を持ちにくい題材ではあるように思います。
で、囲碁をダシに使ってメインは別のところにあるというものではなく、盤面全体こそあまり出しませんが、局地戦については、画面上に描くなどして、題材をおざなりにしていないのも、個人的には気に入っています。

他に囲碁を扱っている作品というものを見かけませんので、題材の掘り下げ方を比較し吟味できないところは個人的に残念なのですが、それだけ漫画作品の題材としてマイナーなものを扱おうという意欲が素晴らしいと思います。

で、それだけマニアックな内容となっているのかというと、そんなことはありませんで、きちんと主人公の女の子が女の子してますし、漫画作品として成立していますので、「囲碁?そこはどうでもいいよ」という方も、読める作品となっていると思います。

ものがたりの各論というのか、かなり些末なところになりますが、年齢に似合わない(実年齢よりかなり年上にみられる)容貌の主人公の女の子の、思いがけずドン臭いところなどは、個人的に結構好きだったりします。

あと、これは、別に描きたいところがかなり異なっているので、心配するようなものではないと思いますが、同じ題材の作品としてほんの少しだけ引っ掛かってしまうのは、件の某作品のように尻すぼみのぱっとしない終わり方をしてほしくないなぁ、ということでしょうか。

あの作品、取ってつけたような展開をせざるを得ない事情があったのかもしれませんが、佐為(って書いちゃいました…)がいなくなってからの展開の締めとして、昔の人から受け取ったものを、後の世代へ引き継いでいくという役割を担っていく(といったニュアンスだったと思いますが、人に差し上げてしまったので単行本が手許にありませんで、全然違っていたら申し訳ないです)などという辺りが主人公の口から語られていましたが…、そんなこと、引き伸ばして描かなければならなかった必然性が感じられず、結構残念でした。
佐為との訣別、そしてヒカルの成長を描くにしても、もっと短いエピソードで十分だったように思います。

この辺り、日本が勝てなかった点を取り上げ、他の国への配慮というのか圧力というのかがあって…、と云々するような方もまま見られましたが、個人的には、あの話の中で、国別対抗の勝ち負けってそんなに重要だったのかなぁ、あまり重要でないところに気を取られ、作品の読むべきところを見誤っているのでは?と、当時思ったりしました。まあ、人の読み方はそれぞれですし、自由に読めばいいものですから、「正しい読み方」が存在する訳ではないですけれども。

…と、話が随分と逸れました。
ともあれ、そのような展開を見せる作品ではないと思います。また、従前の単行本の連載の長さを見るに、端的にまとめてくれそうな印象がありますし、作者も、もともと2巻完結の予定であった旨単行本の中で書いていましたので、そうは引っ張らず、最後まで楽しませていただける作品にしていただけるのではないかと、思っています。

ということで今回は、久々の漫画についての感想、という話。


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コミティア前日と最近読んだ漫画とおまけの話 [漫画]

…なんだか、更新の頻度がとみに落ちておりますが、別段大きな変化もなく。
最近読んだ漫画について、あれも書こう、これも書こうと、グダグダ書き連ねていったら、まとまらず、上げられずにいたり、そもそも、感想を上手く文章にまとめられなかったりで、…まあ、今に至ると、そういう訳でございます。 

と、気づいたら、明日はコミティアではないかということで、今回はコミティアに関わる漫画の話からテケトーに書いてみようかと思います。


丸山薫「ストレニュアスライフ」(エンターブレイン)
「MARU PRODUCTION」
の名で、明日も参加されるようですね。
で、「ストレニュアス…」についても。「Fellows!」で連載していた仕事にまつわる短編漫画24篇を収録した漫画。どちらかというと、イラストの活動が多い作者なので、初の単行本になります。

で、感想。
絵柄が、すっきりとした印象を受ける作品ですね。効果線少なめのためではないかと思います。それがため、動きが感じられないかというとそんなことはなく、上手いです。

構図とか、デッサンとか、基本がしっかりしているということなのかもしれません。もしくは、FLASHでアニメーションを作っていることから、「見せる」感覚に秀でているのかもしれませんね。

また、アニメーション制作の影響というところでは、イラストレーターの悪い癖のような、キャラクターを描く距離感が悪かったり、コマとコマの流れが悪かったりする(桜瀬琥姫の初単行本なんかはそれが顕著で…)せいで、漫画のテンポまで悪くなっているようなこともなく、妙なひっかかりを覚えることなく、いいテンポで読めます。

ただ、引き気味のアングルで(この辺りが、イラストレータの業というのか)、なるべく全身を入れようとしているように感じますが、これに関しては別段マイナスに作用するものではないです。

そして、キャラクターの衣装は、デフォルメを利かせつつも、細かいところまで描かれていて、好印象です。

ものがたりについても触れておきますと、個人的には、14&15話の「雲山の送り狼」が印象に残りますね。登場人物の視点を変えて、同じ出来事が描かれるものがたりというのは、たまに見かけますが(入江紀子が、この描き方をしばしばしていたのが思い出されます)、同じ出来事に出くわしているのに、人によって違う感想を持つところに面白さを感じます。

また、3、4話の「ヴォストーク・ナイト・クラブ」シリーズや、7話の「屋台公主」、23話「シーロン公共図書館 SIDE:B」の、アヤしげ(?)な東洋風の話となども、好きですね。
…と、あまり気にしていませんでしたが、この方、ものがたりの引出し、結構多いですね。

今は、連載を持っていないと思いますが、また連載を始めて戴きたいものです。
…とりあえずは、明日、スペースに伺おうと思います。

エンターブレインの単行本&コミティア参加者というつながりでは、長澤真「瑪瑙之竜」も新刊(2巻)が出ましたね。今回のコミティアは、残念ながら不参加のようです。
長澤…は、イラストと随分趣の違う漫画を描くのですが、アメコミがベースにあるんでしょうか(アメコミ詳しくないので、分からないのですが)。

なんにしても、日本の漫画としては、あまり見かけない画風であるように思います。
オリジナリティがあるのは、結構好きなので、そういった意味でも好きです。

ただ、どちらかというと、長澤…の絵は、カラーの方が映えるのでカラーの作品をまた描いてほしいものです。いや、「瑪瑙…」も面白いんですけれども。


コミティア、ということで、今回の参加サークルについて少し。
個人的にかなり好きな漫画家の岩岡ヒサエ「moi moi」のサークル名で今回されるようです。
「土星マンション」が、終わったからでしょうか。

また、以前から参加されていたかは記憶にないのですが(ちょっと調べてみたら、参加されていたようですね)、とよ田みのる「FUNUKE LABEL」の名で参加されるようです。
こちらも行ってみようかと思います。「ラブロマ」は、ラストの方は今一つだったんですが、好きでしたし。


…何か、これだけですと、ちょっと物足りないので、今期見ているアニメーションに関しても少し。 

今期は、ノイタミナでやっている「うさぎドロップ」を観ています。
30過ぎの独身男性が、自分の爺さんの遅くにできた子である女の子(ものすげー年下の叔母ということですね)となりゆきで一緒に暮らすことになって…、というその共同生活のものがたり、になります。

…面白いですね。古本屋で、原作の単行本をまとめて入手しようかなぁ、と考えてしまいます。
原作者の宇仁田ゆみは、以前「スキマスキ」という作品を読んだことあって、何か妙に魅かれるものがありました(単行本は買いませんでしたが)。

ともあれ、アニメーションの方を続けて見ようと思った矢先に、いきなりHDDの誤作動で、第2話を録画ミス…。かなりへこみました(それ以降は、録画できているのですが…)。

また別に、やまむらはじめ原作の「神様ドォルズ」も観ています。
こちらは、アニメよりも、漫画を先に読んでほしい作品だなぁ、と思う作品。
あ、いや、アニメーションが面白くない、という意味ではないですよ?

ただ、アニメーションの方は、ドラマチックな盛り上がりがあるのですが、原作は、結構淡々としていて、アニメーションから見ると、「あれ? ここ、盛り上がるところじゃないの?」と、違和感を感じるのではないか、と思うためです。

そうなりますと、「やまむらはじめって、下手なん?」と思われてしまうかもしれません。
私個人は、淡々としたところが味だし、面白いと思うのですが、あまり、そう感じる方は多くないようにも思います。なので、興味のある方は、コミックを先行していただきたいなぁ、と。

…この淡々とした具合が、やまむらはじめが、あまり一般受けしない理由かもしれませんね。

ということで今回は、リハビリを兼ねて上げるだけ上げましたが、「…それが何か?」といいたくなるような、どうにもつまらない文章になりました、という話。


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ブログタイトルに偽りなし [漫画]

今回はタイトルに偽りなく、久々に漫画について。
つれづれと、思いつくままに取り上げてみましょう。…まとめる能力がないともいいますが、それはそれとしまして。
と、書いたものを、見返してみたら、たいした事を書いていないのに、結構長々としたものになってしまいましたので、ゆるゆると、お暇なときにでも眺めていただければ重畳。 


まずは、谷川史子
最近続けて彼女の単行本が刊行されました。全般に、満足でした。その中でいくつか。
ひとつは、「他人暮らし」(集英社)になります。

この中で、「あれ? 新しいことにチャレンジしてみたのかなぁ?」と気になった点がひとつありました。
それは、主人公のひとりである、書道講師をしている純花(墨花)の体型。結構ふくよかに描かれています。

谷川…は、これまでこういう体型の女性を描くのはあまりなかったのではないか、と思います。
柔らかな描線を描くので、こういうふくよかな体型の方を多く描いていてもおかしくないのですが、手足のほっそりとした女性が多く、私が覚えている限り、初めてといっていいくらいではないか、と思います(私が気づかなかっただけかもしれませんが)。

その理由を考えるに、ここ数年で、「谷川…の作品が男性誌にも掲載されるようになったから」というのがあるのかなぁ、などと思います。

いや、はっきりとした理由ではないのですが、女性向けより男性向けの漫画の方が女性がふくよかな気がするものですから(この辺りは、女性と男性で、太っているか否かの判断について、概して女性の方が厳しくみるのが影響しているように思いますが、まあそれはそれとしまして)。
また別の理由として、特にそういった旨の言及は、作者本人はしていないのですが、あまり描かない体型を描き始めたのは、何かチャレンジする意識があったのかも、などとテケトーなことを考えたりするのですが、さて、実際のところはどうなんでしょう。

話は微妙に変わって、谷川…のもうひと作品について。
「おひとり様物語」の最新刊3巻の冒頭の第17話の三ノ輪さんの話は、何かうるっときました。頭をぽんぽんとするのが羨ましいとか、個人的に納得だったりしますし(「頭撫でるのって、何かいいよなぁ…。」と結構昔に書いたような気がしますね)、切ない感じが良かった…。
とまあ、話の内容が良かったというのもあったのですが、「おひとり様…」の版型が大きいのが影響しているからか、ふと、頭に浮かぶことがありました。

それは、谷川…が、りぼん系の出身ということ。どこが、というのではないのですが、私が読み始めた頃の「りぼん」(…なので、80年代前半辺り、でしょうか)というのか、その頃の集英社系にルーツがある描き方だなぁ、と。
…描線とか、構図とかでしょうか。文字はもっと少なかったように思うんですけども。記憶違いかもしれませんが、急にふと思い出されまして、なんとも不思議な感覚でした。


さて、谷川…のように、立て続けに刊行されたものではないのですが、同時刊行された作品について書いてみようかと思います。
「数学ガール」について。

先日、春日旬が描く「フェルマーの最終定理」と、茉崎ミユキが描く「ゲーデルの不完全性定理」(いずれもメディアファクトリー)が同時刊行されました。
どんな話かと申しますと、数学を題材にした、主人公の「僕」と、その周囲の女の子の学園もの、と説明するのが適当でしょうか。

触れてみたいのは、画力とは異なる絵の上手さ、といえばいいでしょうか、についてです。
前作の日坂水柯版も併せて単純な画力で3作を比較すると、春日…が一番上手くて、逆に日坂…が一番(…あえてそれ以上は書きませんが、筆ペンで上手くもない主線を書く意味が分かりません…)なのかなぁ、と感じるのですが、茉崎ミユキや日坂水柯の方がミルカの描き方が上手い、ように感じます。
…あくまで個人的な感想で、人によっては受け取り方が異なってくるとは思いますけれども。

私がそのように感じるのは、春日…の描くミルカは、なんというのか…、「眼の描き方に違和感を覚えるから」です。
全部が全部「これって違わね?」と、違和感を感じるのではないのですが、私がイメージするミルカというキャラクターの眼は、普段は人とは違うものを見ているような、焦点が人より少し遠くを見ているような、ずれた印象を受ける目つきをしています。
それが数学の話の核心を衝くような時に、貫くような鋭さをもつ、そんな感じなのですが、春日…版にはそれがないように感じられます。

ミルカというキャラクターについて、もう少し書いておきますと。
ミルカが、なんとなく通常の人とずれていると感じるのは、彼女の、人との物理的な距離間隔が常人の感覚とずれているからかもしれません。かなり相手のテリトリーに、ずいっと入り込むんですよね。
この描写、漫画の表現なら、それは見てすぐ分かるのですが、原作だとどう描いているんでしょうか? 少し気になります。
ただ…、学生時代数学が苦手だった私には、数学の読み物を文字で読む気にはまだなれません。…多分、この先もずっと。

どうでもいい余談になりますが。
ここ数年会っていませんが、私には、この「人との物理的な距離間隔」がおかしかった高校来の友人がいます。
彼の場合、視力が悪かったため、しっかり人と話そうとすると、その人の顔がはっきりと見えるところまで寄ろうとするのか、おかしなほど近づいていたようなのですが、これをやられる側としては、かなり心理的に圧力を感じたりします。
そんな経験があるからか、「数学ガール」のミルカの人に詰め寄る様を見ると、しばしばその友人のことと、心理的な圧力がかかる詰め寄られる側の心持ちを思い出します。


学生時代というつながりで、話をシフトしてみましょうか。

羅川真里茂「ましろのおと」(講談社)について。
以前のエントリでも紹介しましたが、高校生が主人公の、津軽三味線を題材にした漫画ですね。最新刊は3巻になります。

私が羅川…の好きなところとして挙げたいのは、ものすごくパワフルなキャラクターが存在するところ、ですね。爽快感があります。それでいて、作品のバランスをぶち壊すようなこともなく、違和感なくまとまっている辺り、上手さを感じます。
「ましろ…」では、主人公雪の母梅子がそれですね。最新の3巻でも、パワフルです。

以前のエントリでは、演奏の描写について「いまのところ、いまひとつ…」のようなことを書きましたが、なかなかどうして。
いい感じになってきているように感じます。3巻ですと、心境を反映したとがった演奏のときや「さくら」の演奏が印象的です。 


今度は、女性向けの漫画を描かれていた方が、男性向けの雑誌に進出してきたというつながりで、シフトしてみましょう。

南Q太「ひらけ駒!」(講談社)について、書いてみようかと思います。
一時期、少し読んでいたことがあったのですが、南Q太の作品を読むのは久しぶりです。
モーニングで連載を始めたのを偶然見かけて、「あれ?この絵柄って…」と、読み始めたのがきっかけ。
モーニング、庄司陽子も以前描いていましたし、よしながふみや東村アキコは現在も連載中ですし、南Q太も…。

さて、「ひらけ駒!」ですが、主人公は将棋Love!な小学生の男の子「宝(たから)」の将棋ライフを描いた作品になります。…宝だけじゃなくて、その母親もメインですね。母子がメインキャラクターです。
で、その母親が、そこはかとなく色っぽくて、やたら可愛いのが、私個人は大好きだったりします。
…私の個人的嗜好はどうでもいいのですが、この母親のキャラクターが、作品のいい味になっているように思います。

以前読んでいた頃は、南…の描く女性を、色っぽいなぁと思ったことはなかったのですが、「ひらけ駒!」の単行本中、各話の間に描かれている主人公のお母さんのラフを見るに、可愛いさや色っぽさを感じます。
ただ、この感じが、完成原稿だと結構薄れてしまうのが、ちょっと残念だったりします。

この辺りの変化が何故生じるのか考えるに、仕上がりの描線が、比較的均一な線になっているのが多分に影響しているからではないか、と思います。この線の均一な感じは、南…らしさでもあるところでして、それがなくなるということは、南…らしさがなくなってしまうことになるのかもしれませんが、個人的には、ラフな感じのときの描線を生かした作品を描いてみて欲しいなぁ、と思ったりします。
母親Love!ですから、ええ。…いやいや、そうではなく(全くない!とは申しませんけれども…)、新たな良さが出るように思うからです、いや本当ですよ?

ということで今回は、マンガヨミ、ジュッカイスるのはいいんだけど、何か微妙に書き方を忘れちゃってて、一層ダメダメな感じだし、そもそも長い、長いよ!とツッコミを自分で入れてしまう内容ですよ、という話。何で、もっと、上手くまとめられないんかなぁ…。リハビリが必要かも…。


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三味線って…―羅川真里茂「ましろのおと」と、もう一作― [漫画]

恰好いいですよね? 三味線。
何年か前に、結構はまりまして、私。いや、弾く方ではなしに、聴く方ですけども。
巷では、上妻宏光吉田兄弟の方が知名度が高いような気がしますけれども、私は木下伸市(今は木乃下真市みたいですね)が好きでして。

そんな訳で、津軽三味線を扱った漫画を今回は紹介しようかと思います。
先日単行本が出た、羅川真里茂「ましろのおと」(講談社)になります。

どんな作品かと申しますと、こんな感じ。
主人公の祖父が亡くなるところからものがたりは始まる。
主人公の雪(せつ)は、祖父の三味線の音に憧れていて、祖父の三味線の音になりたいと願っていたものの、祖父から「俺が死んだら、自分がみっともない音を出していると気付くまで、三味線を弾くな」と厳命される。
主人公は、当初祖父の遺言の意味が分からないまま、祖父が亡くなると自分の音もなくなったと感じ、実家には「好きな音がない」と、家を飛び出す。そこから、雪の自分の音を探す旅が始まる…。

…何か、説明すると、難しい話みたいですね。
無論、そんな堅苦しいものではありませんで、私の説明下手が原因ですので、「難しそう…」と躊躇されませぬよう。

ざっくりとした感想を申しますと、少年の成長譚として、アツいし、面白いです。
作者の羅川…は、出身が青森の方ですから、郷土愛も相俟っているように思います。
余談ながら、私もルーツが東北なことも影響しているのか、東北の訛りに触れると何かいいなぁ、と思います。

少し、具体的な話もしますと、主人公本人は、祖父の音への憧れが強すぎるからなのか、演奏が自己表現であることを、今のところあまり自覚していないのかもしれません(直感的に、気付いているようなところも見られますが)。
何故、祖父が自分自身の音に似た主人公の音を「みったぐねぇ」というのか…。
自分の音を探す=自己表現の模索という、この辺りが、作品の中核になっていくのかなぁ、と思います。

漫画の表現についても少し言及しておきましょう。
人様に指摘されて、はたと気付いたのは、音の表現方法について。
この作品に限らず、音楽を扱った作品につきものの問題ですけれども、音それ自体は絵では見せられませんから、それをどう表現するか、という問題ですね。
今のところ、この点については、おおっ!というような、目を引く表現は見受けられません。ですが、主人公の成長につれて、秀逸な表現を見られると嬉しいですね。

…主人公の少年の成長譚が中心の人間描写がメインな印象ですので、あまりそちらに重点は置かないかもしれません。ですが、ものがたりの奥行きにも関わることでしょうから、期待したいところではあります。

津軽三味線に興味なんぞないわ!という方も、御一読戴きたいです。
今一度申し上げておきますと、津軽三味線って、恰好いいですよ?

これだけでは短いので、別の作品も紹介しておきましょう。
文科系な題材つながりで参りましょうか。

片山ユキヲ「花もて語れ」(小学館)
題材は何かというと、朗読、です。

どんな作品かと申しますと、こんな感じ。
主人公の佐倉ハナは、性格が内気なことや、引越しをして新しい環境になじめないことから、友達もできず、一人ぼっちでいることの多い女の子。
それが、学芸会のナレーションをきっかけにして、次第に変わっていく…、というもの。

単行本の帯の推薦文が坂本真綾だったので、何気なく手に取ったのですが、結構当たりだったように思います。
朗読というものが面白いと感じられます。
朗読というと、私なんぞは、「単に声に出して読む、でしょ? それで何かものがたりになるん?」と思っていたのですが、そうではないというのが分かりました。
…いや、よく考えれば、「朗読劇」等もありますから、そう単純なものではないと分かりそうなものですけども。

「花もて…」のものがたりについても書いておきますと。
ものがたりのはじめの展開は、少し既視感があるなぁ、と思ったんですが、「ガラスの仮面」に少し似ているんですね。
気付く人だけが主人公の才能に気付く、というヤツです。

絵柄については、あまり上手くないというよりも、正直下手な部類かなぁ、と思います。
まあ、私自身は受け付けない絵柄ではないので、さほど気になりませんが、絵柄ではねてしまう人もいらっしゃるかもしれません。
…そうだとすると、ちょっと勿体無い気がしますが、こればかりは好みの問題ですので、ねぇ?

さらに、ものがたりの題材の朗読についても、もう少し付言しておきます。
朗読は難しい、と言われると、確かにそうだなと思います。
作中に触れられていること(朗読は、意味が把握できないときちんと読むことができず、正確なイメージをつかむことが重要になる等)もそうなんですけれども、別のものと比較することでも分かりますね。

例えば、演劇の一人芝居と比較してみますと。
一人で何役もこなすという点においては、一人芝居も朗読も同じなんですけれども、芝居では動きで見せるということができる一方で、朗読が大きなアクションを交えず(多少視線であったりの動きはあるでしょうけれども、基本的にはダイナミックな動きを見せるものではないでしょう)、声で演じるということを考えると、一層制約が大きいわけで、これでもって人をひきつけたり感動させるたり…、というのは非常に難しいように思います。

このような朗読を作品の題材にするというのは、なかなかに面白いなぁ、と思いますがいかがでしょう。

作品を少し離れた個別の感想も付言しておきます。
「花もて…」の中では、宮沢賢治の「やまなし」を扱っているんですけども、漫画作品において、宮沢賢治って、何かよく扱われる気がします。…気のせいでしょうか?
また別に、「銀河鉄道の夜」とか「セロ弾きのゴーシュ」とか、漫画に限らず、アニメーションになっている作品もみかけますね。ビジュアル化してみたい作品ということなんでしょうかね。
でもって、宮沢の作品それ自体を文章で読んだことがない方って、結構いらっしゃるように思うのですが、いかがでしょう? 私だけ…、かなぁ(私自身は、宮沢の作品をほとんど読んだことはないです)。

ということで今回は、文科系作品でGO!という話。


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タイミングってありますよね -紺野キタについて- [漫画]

男女の出会いや、恋人が結婚するに当たって、タイミングというものが結構大事、などということを申しますね。
実際、私なんぞは、タイミングを逃してしまった典型といっていいのかもしれません。…嫌な具体例だなぁ。
しかも、タイミングだけの問題ではないのでは? というツッコミも入れられそうですね。…そういう、真理を突くような鋭すぎるツッコミは心底悲しくなるので、入れないで戴きたいのですが。

…気を取り直しまして。
ともあれ、男女の関係に限らず、他のものでも出会うタイミングで、その後が左右されることというのはあるように思います。

で、まあ、男女関連といった私にはものっそい縁遠いもの(…)はさておきまして、漫画作品との出会いなんぞも、結構タイミング次第で、受ける印象が変わったりするように思うのですが、いかがでしょう。

これは私の例ですが、私は高校時代に、吉田秋生「BANANA FISH」を同級生の女の子から薦められましたが、当時は内容以前に「BANANA FISH」の初期の絵柄が受け付けず(薦めた女の子の作品の紹介も、あまり食指が動くような紹介でなかったのも手伝って)、かなり頭のところで断念し、その後、10年くらいしてから読み返して、その面白さに気付くことになったことがあります。

また、以前のエントリで触れたことになりますが、「蟲師」漆原友紀も、志摩冬青名義の頃に出会っていたら、きっと読まなかったのではないか、という印象でしたし。

で、今回は、紺野キタです。
紺野キタ。
私は物事全般に「広く浅く」で取り組むことが多いのですが、漫画も然りでして、読む範囲をジワジワと広げていたりします。
ですが、女性向けの漫画に関しては、未読のものが非常に多く、また自分に合う・合わないの判断をする、自分の中のいわばアンテナの感度も悪い、ような気がして(男性向けは、単行本を手にとって見ればある程度判断付きますし、そもそも雑誌で見ていることも多いですから…)、なかなか自分にとって面白いと思えるものの判断がつかず(「広く浅く」といっても、自分が面白いと思うものをメインに読みたいですから…)、範囲の拡大も停滞気味だったりします。

そんな中で、この人の作品って面白いんかなぁ? 少し読んでみたいなぁと思う方が、最近では二人ほどいました。
一人は岩本ナオ。もう一人が、紺野キタです。
岩本ナオの方は、書店で並んでいる単行本であったり、その紹介を見るに、多分自分にも合って、面白いだろうことは判断が付いたのですが(といいつつ未読なんですけども)、紺野…については、どうも情報が少なくて判断が付きませんでした。

※後で、情報が少なかったのは、彼女がBLを描かれていて、そちらは女性向けの中でもさらに私が疎いため、というのと、幻冬舎とか大洋図書から単行本が出ていて、あまりメジャーとは言いがたいため、と理由が判明したのですが、それはそれとして。

で、先日、書店で一話分のお試し小冊子(←しばしば思うのですが、こういうのがあるというのは、ありがたいですね)のようなものがあったので、読んでみたところ…、「面白い」と。
で、彼女の単行本をいくつか購入してみました。

「夜の童話」
「Cotton」
「つづきはまた明日」

私がお試しで読んだのは、「つづきはまた明日」だったのですが、これは読めるな、と。
小学生の男の子とその妹と父親の父子家庭を中心とした家族とその周辺の人々の日常を描いた作品で、暖かくやさしいものがたりなのですが、そこはかとなく悲しさが感じられたりします(1巻収録の「空の知らない水」などは、結構泣けます)。

絵柄は、私が一番好きだった頃の入江紀子の絵柄に似ている、ような気がしました(紺野…の方が、少し引き気味のアングルが多いですけども)。この辺りも、私にとっては好印象を受ける要因になったように思います。
また、こちらはそっくりというのではないですけども、ものがたりの雰囲気も、そこはかとなく似ているようにも感じられました。
いや、伝えんとするところは、かなり違うように感じられるのですが、描かれる人物、特に子供の描写が似ているというか。…ん~、どうも上手く言えません。

で、この紺野…の作品、一番新しいのは「つづきはまた明日」かと思うのですが、もし「夜の童話」を最初に読んでいたら、私は多分、「絵は結構好きなんだけどなぁ…」と、読まなかったように思います。

というのも、「夜の童話」に収録されている作品を読むに、何か伝えたいことがあるのは作品から確かに感じられるんです。…ですが、それが読み手に分かり易く伝わるように描かれていないように感じられ、自己満足のために描かれているように感じられるというのか、読み手からすると消化不良な印象を強く受けるためです。

この辺り「夜の童話」のあとがきを見て、妙に納得したんですが、「夜の童話」に収録されている作品は、同人誌で描いたもので、ネームをすっ飛ばして一気に描き上げたものが多いようです。
他人のチェックというのか、他者の目を通して、伝えたいことを分かり易くする加工が施されていないんですね。

もちろん、他者の目を通さないと作品はわかりやすくならない、などという気はありません(自分自身でこの辺りなど意識せずとも伝わり易く描ける方もいらっしゃるでしょうし、意識して調整できる方もいらっしゃるかと思いますから)。
ただ、その分かりにくさで、作者への共感度が非常に高い人しか十分に楽しめないというのは、漫画としては随分と不親切だなぁ、と私は思います。

そんな訳で、「夜の童話」の頃に、彼女の作品に触れず、最近の「つづきはまた明日」が出されてから作品に触れられたのは、いいタイミングだったなぁ、と思います。
こういうことがありますと、妙な縁を感じたりして、少し不思議な気がしますね。他のマンガヨミの方には、そういう経験はないでしょうか?

余談ながら、かつ、余計なお世話かもしれませんが、これから紺野…を読もうとされる方がいらっしゃいましたら、新しい作品からさかのぼっていかれるといいのかなぁ、と個人的には思います。

ということで、今回は、私のプライベートにおけるいいタイミングはいつなんだろうかと考えると、非常に悲しくなって参ります…、という話。


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