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タイミングってありますよね -紺野キタについて- [漫画]

男女の出会いや、恋人が結婚するに当たって、タイミングというものが結構大事、などということを申しますね。
実際、私なんぞは、タイミングを逃してしまった典型といっていいのかもしれません。…嫌な具体例だなぁ。
しかも、タイミングだけの問題ではないのでは? というツッコミも入れられそうですね。…そういう、真理を突くような鋭すぎるツッコミは心底悲しくなるので、入れないで戴きたいのですが。

…気を取り直しまして。
ともあれ、男女の関係に限らず、他のものでも出会うタイミングで、その後が左右されることというのはあるように思います。

で、まあ、男女関連といった私にはものっそい縁遠いもの(…)はさておきまして、漫画作品との出会いなんぞも、結構タイミング次第で、受ける印象が変わったりするように思うのですが、いかがでしょう。

これは私の例ですが、私は高校時代に、吉田秋生「BANANA FISH」を同級生の女の子から薦められましたが、当時は内容以前に「BANANA FISH」の初期の絵柄が受け付けず(薦めた女の子の作品の紹介も、あまり食指が動くような紹介でなかったのも手伝って)、かなり頭のところで断念し、その後、10年くらいしてから読み返して、その面白さに気付くことになったことがあります。

また、以前のエントリで触れたことになりますが、「蟲師」漆原友紀も、志摩冬青名義の頃に出会っていたら、きっと読まなかったのではないか、という印象でしたし。

で、今回は、紺野キタです。
紺野キタ。
私は物事全般に「広く浅く」で取り組むことが多いのですが、漫画も然りでして、読む範囲をジワジワと広げていたりします。
ですが、女性向けの漫画に関しては、未読のものが非常に多く、また自分に合う・合わないの判断をする、自分の中のいわばアンテナの感度も悪い、ような気がして(男性向けは、単行本を手にとって見ればある程度判断付きますし、そもそも雑誌で見ていることも多いですから…)、なかなか自分にとって面白いと思えるものの判断がつかず(「広く浅く」といっても、自分が面白いと思うものをメインに読みたいですから…)、範囲の拡大も停滞気味だったりします。

そんな中で、この人の作品って面白いんかなぁ? 少し読んでみたいなぁと思う方が、最近では二人ほどいました。
一人は岩本ナオ。もう一人が、紺野キタです。
岩本ナオの方は、書店で並んでいる単行本であったり、その紹介を見るに、多分自分にも合って、面白いだろうことは判断が付いたのですが(といいつつ未読なんですけども)、紺野…については、どうも情報が少なくて判断が付きませんでした。

※後で、情報が少なかったのは、彼女がBLを描かれていて、そちらは女性向けの中でもさらに私が疎いため、というのと、幻冬舎とか大洋図書から単行本が出ていて、あまりメジャーとは言いがたいため、と理由が判明したのですが、それはそれとして。

で、先日、書店で一話分のお試し小冊子(←しばしば思うのですが、こういうのがあるというのは、ありがたいですね)のようなものがあったので、読んでみたところ…、「面白い」と。
で、彼女の単行本をいくつか購入してみました。

「夜の童話」
「Cotton」
「つづきはまた明日」

私がお試しで読んだのは、「つづきはまた明日」だったのですが、これは読めるな、と。
小学生の男の子とその妹と父親の父子家庭を中心とした家族とその周辺の人々の日常を描いた作品で、暖かくやさしいものがたりなのですが、そこはかとなく悲しさが感じられたりします(1巻収録の「空の知らない水」などは、結構泣けます)。

絵柄は、私が一番好きだった頃の入江紀子の絵柄に似ている、ような気がしました(紺野…の方が、少し引き気味のアングルが多いですけども)。この辺りも、私にとっては好印象を受ける要因になったように思います。
また、こちらはそっくりというのではないですけども、ものがたりの雰囲気も、そこはかとなく似ているようにも感じられました。
いや、伝えんとするところは、かなり違うように感じられるのですが、描かれる人物、特に子供の描写が似ているというか。…ん~、どうも上手く言えません。

で、この紺野…の作品、一番新しいのは「つづきはまた明日」かと思うのですが、もし「夜の童話」を最初に読んでいたら、私は多分、「絵は結構好きなんだけどなぁ…」と、読まなかったように思います。

というのも、「夜の童話」に収録されている作品を読むに、何か伝えたいことがあるのは作品から確かに感じられるんです。…ですが、それが読み手に分かり易く伝わるように描かれていないように感じられ、自己満足のために描かれているように感じられるというのか、読み手からすると消化不良な印象を強く受けるためです。

この辺り「夜の童話」のあとがきを見て、妙に納得したんですが、「夜の童話」に収録されている作品は、同人誌で描いたもので、ネームをすっ飛ばして一気に描き上げたものが多いようです。
他人のチェックというのか、他者の目を通して、伝えたいことを分かり易くする加工が施されていないんですね。

もちろん、他者の目を通さないと作品はわかりやすくならない、などという気はありません(自分自身でこの辺りなど意識せずとも伝わり易く描ける方もいらっしゃるでしょうし、意識して調整できる方もいらっしゃるかと思いますから)。
ただ、その分かりにくさで、作者への共感度が非常に高い人しか十分に楽しめないというのは、漫画としては随分と不親切だなぁ、と私は思います。

そんな訳で、「夜の童話」の頃に、彼女の作品に触れず、最近の「つづきはまた明日」が出されてから作品に触れられたのは、いいタイミングだったなぁ、と思います。
こういうことがありますと、妙な縁を感じたりして、少し不思議な気がしますね。他のマンガヨミの方には、そういう経験はないでしょうか?

余談ながら、かつ、余計なお世話かもしれませんが、これから紺野…を読もうとされる方がいらっしゃいましたら、新しい作品からさかのぼっていかれるといいのかなぁ、と個人的には思います。

ということで、今回は、私のプライベートにおけるいいタイミングはいつなんだろうかと考えると、非常に悲しくなって参ります…、という話。


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