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昔の映画好き、最近は… [アニメーション]

先日、桜木町の、というか、みなとみらい地区?(若造っぽく、語尾上げにして読んでいただければ幸い)のワールドポーターズに行ってきました。画像がないのは、出かける前にちょっとバタバタしていて、カメラ忘れました…。
…それはともかく、みなとみらいって、かっごよぐね?(赤いプルトニウム?)

…赤いプルトニウムもともかく、あまり私には縁のなさそうな、「おっされ~(=お洒落)」なところ(いや、ワールドポーターズが、それほどまでに「おされ」かというと、微妙でしょうけれども)に行ったのかと申しますと、映画を観に行きまして。
観に行った映画ですが、「サマーウォーズ」です。

…末席ながら、こちらの趣味に属する者ですから、私。

ここ数年、映画館に観に行った作品を思い出すに、「ペルセポリス」「スチームボーイ」「バンパイアハンターD」、その他、ぱっと思い出すところでも、「東京ゴッドファーザーズ」…。アニメーションしか、まともに観に行ってないです。
実写になると…、3年は行ってないですね。
…その昔(今から…15年以上前?)、年間100本とか、3年間で250本とか観てたのになぁ。

私の最近の映画に関する履歴はともかく。
「サマーウォーズ」。
ネタバレするのは無粋というものでしょうから(トリックがどう、というものではないですけれども)、具体的な内容については触れませんが、面白かったです。
全般に、面白さからついついニヤニヤしながら観ていました(上映時間の7、8割くらいでしょうか)。

ヴァーチャル・リアリティの空間やらアバターの描写(そういえば、ヴァーチャル・リアリティのモニュメントのようなものを見るに、村上隆を想起したのは、私だけではないと思うのですが、いかがでしょう)、アクション描写、仮想現実世界と現実世界とのリンク、そして、脚本。複層的なものがたりが展開し、綺麗に収束していくのが、上手いなぁ、と。また、主人公を中心とする少年の成長譚を主軸にしながらも、大家族の各人にそこそこの見せ場を作っています。

ただ、私がニヤニヤしながら見ていたのは、制作者の、本筋から離れた細かいところの凝りようであったり、サブキャラクターまでしっかり作りこんでいる様がそこかしこで感じられるのが面白くて。

本筋に関わりないところの凝りようの例…として適当かは分かりませんが、ヒロインの実家というか、大家族の本家のモデルは、真田家であるのは明白なのですが、その本家に飾られている甲冑は、真田昌幸のものがモデルですね。
これは当然ながら、先祖の自慢話に出てくるときの当主、そのモデルが昌幸だから、でしょうね。

また、サブのキャラクターの高校球児上田高校のエース了平のお母さん由美さんは、息子さんを通して野球好きになったのか、本家にいる間、ずっとMLBのレプリカ(かな?)のユニフォームを、毎日とっかえひっかえ着ています。野茂、斎藤隆、松坂…。イチローや松井といった野手のそれじゃなくて、皆投手(かつ右腕)というのもミソです。
分かる人だけ分かればいい、というスタンスだったのか、レッドソックスのユニフォーム以外は、チーム名など、はっきりと見せていませんでしたが(…MLBからの使用許可とか、面倒だったのでしょうか)。 

他に、全般に、そのキャラクターらしい、いかにもなかけあいというのか、科白の応酬とか、女衆各人の立場(外から陣内家の血縁に嫁としてきたのか、陣内家の血筋の者なのかという違いに加えて、その人の性格)とか、キャラクターをしっかり作りこんでるなぁ、と。

あと、これは、映画を観ているときには、はっきりとは分からなかったことになりますが、仮想現実世界と現実世界の描写のちょっとした違いについて。
観ていて、アバターというキャラが中心になって動いているがゆえに違いが感じられる以上に、現実世界と明確に違う質感というのか、「空気」というのかが感じられまして、あれはなんだったんだろうと少し気になっていたんですが、パンフレットを見て気づきました。
仮想現実世界のキャラクターを描くときの主線って、普通に使う黒ではなく、赤で描いていたんですね。それで、周囲の背景とキャラクターとのコントラストが若干弱まって、現実世界の描写とは、印象が少し違うように感じられたようです(いや、無論それだけが理由ではないでしょうけれども、理由のひとつにはなっているように思います)。 


ネタバレは無粋と書きながら、最後にひとつだけ書きますと、映画を観終わって帰宅後、たいした用もないのに実家に電話入れました、私。
滅多に実家に電話などしないのですが、そうしたくなるような映画でした。これで1000円(偶然、当日はサービスデーでして、安かったんです)はお得でした。

ということで今回は、次に観に行く映画は…「センコロール」、かなぁ。…またアニメーションかよ!という話、または、上映館少なくて、池袋まで出張らなきゃなんないんスけど、誰か一緒に行く人を熱望!という話。
http://www.cencoroll.com/


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「ザ○とは違う、のか?」と、旧○クはつぶやく [アニメーション]

昨日は、七夕でしたか。…まあ、私をご存知の方でしたら、予想通りと思いますが、私の織姫はどちらにいるのか分かりませんで、会えず仕舞いでした。

天の川の対岸を眺めるに、川幅が広く、対岸は霞んで見えませんでしたので(涙で霞んでいたのかもしれません…)、どちらにいるのかよく分かりませんでしたし、それでもともかく川を渡ってみるに、やはり、川幅のせいか、渡った所が予定した所と大幅にずれてしまったのか、渡った先には、待ち人はいませんでした。
今年もそういう悲しい七夕でした。


さて、時節に沿ったネタはさておきまして、本題。
私自身は、まったくそう思っていないのですが、私のものがたりの読み方、特に漫画の読み方は、人様とちょっと違う、らしいです。

「らしい」というのは、前置きしましたとおり、私自身に自覚がないためで、どこがどう違うのか、人様から「違う」と指摘されても、どのように違うのか、いまひとつ分からなかったからです。
が、先日、「大正野球娘。」なるアニメーションを見かけるに、「…こういうところ、なのか?」と、少し思い当たるところがありましたので、ひとつ、その辺りについて書いてみましょう。
直接に漫画ではなく、アニメーションなのは、ちとなんですが、「ものがたりの読み方」という点において、共通点がありますので、まあ、その辺りは目をつぶって戴ければと思います。


「大正野球娘。」、さわりを申しますと、こんな感じ。
舞台は1925年(大正14年)。主人公の娘さんである鈴川小梅は、14才で女学校の2年生。同級生の娘さんの晶子に誘われて、野球をすることになって…、というのが導入部分になります。

なんというのか、これだけ書きますと、女子野球ということで、第二次大戦中のアメリカにおいて行われた女子野球を描いた映画「プリティ・リーグ」(この邦題タイトルを書くに、いつも原題の“A League of Their Own”の方が、素敵なタイトルだと思います)を思い出しますね。
マドンナはどうでもよかったんですが(というか、別の女優さんでよかったのに、と思います)、結構好きな映画です。

閑話休題。
「大正野球娘。」、これだけの情報から、私の場合、何が気になるのかと申しますと、「1925年」という年の設定です。
タイトルの「大正野球娘。」からは、別に、大正時代であればいいはずです。にもかかわらず、この作品は、設定を何故か1925年である旨、言及しています。

何故、この辺りをぼやかさずに、1925年としているのか? と、考えてみるに、翌1926年は、昭和元年です。なので、この作品は、わざわざ「大正」と銘打っていることから考えるに、昭和に年号が変わる、長くても1年余りの期間を描いた作品なのではないか? という推測ができます。
また、女学校の学制が短い科ですと2年制であることから、卒業が関係しているのかもしれません。
さらに、年号の変動やらなにやらで社会情勢が変化して、その途中で野球部が解散するとか、そういった展開が予定されているのか? という推測もできます。

そして、さらに考えてみるに、通り一遍等な考えかもしれませんが、大正時代というと、「大正デモクラシー」などという言葉から、民主化が進んでいた時代という印象があり、一方で昭和は、その反動、ということではないですが、軍国主義化という印象があります。とすると、大正から昭和へ移り変わる際に、そこで暗い何かがあるんだろうなぁ、と。

もうひとつ、別に考えられるのは(上記と択一的なものではなく、並存しうるものです)、主人公の娘さんたちが、大正生まれではないものの、その時点における人生のほとんど大正時代を生きているということから、明治ではなく、大正時代の考え方に染まっている世代として、ギリギリ大正時代であってかつ女学生である(やはり、時代からして、女の子が野球という、奇抜なことをすることからして、新たに女学校に入学したのではなく、多少落ち着いた2年という辺りが妥当なんでしょう)年というのが、ちょうど1925年くらい、ということになのかもしれません。


…私は、別に別段意識しないでも、こういうところが引っかかりまして、そこを適当にうがってみて、こうなるのでは?などと、テケトーに予想しながら見たり読んだりするのが好きなんですが、…こういう見方は、普通しないものなのでしょうか。

いや、だってですね、タイトルで「大正」って言っているんですから、「時は大正…」ってことで、別段年を指定する必要はないわけで、これをあえて限定するということは、そこに作り手の何らかの意思が入っているということではないか?と思うんですね。
うがってみるというより、作り手が、そういったサインを出しているんだから、それは拾ってみるでしょう?と、申し上げたいわけです。

この「作り手の意思を拾う」という意識が、多少強いので、人と違うように思われるのかなぁ、と。

 


ここで、話を漫画の絵に関する話にシフトさせます。
やはり、ここでも「作り手の意思を拾う」というのか、描き手の意思を推測するという楽しみ方を、私は結構することがあります。

私なんぞに言われなくても分かる話なのですが、絵とカメラで撮った画像の大きな違いのひとつは、主体の意思の関与の程度ではないか、と思います。

どういうことかと申しますと。
カメラで撮った画像は、確かに撮り手が撮ろうと思ったものが表されます。ただ、撮り手が意識しないものであっても、そのフレームに入ってしまえば、画像に写り込むということがありえます。例えば、あるアングルから風景を撮る際に、電柱が邪魔だと思っても、それは画像処理を施さない限り、画像に入ってしまう、ということです。

他方、絵というのは、その主体である描き手が意図して描かない限り、紙は白いままで、決して何も表されません。先の電柱を例にすると、邪魔だと思えば電柱を描かなければいいだけです(余談ながら、邪魔だと思っても、写実的に描こうとして描くこともありえますが、それもまた、描き手の意思に基づくものです)。
この描き手の意図を逆にいいますと、描かれたものには、なにかしら描き手の意思が表されている、ということがいえるように思います。

このように、絵というものは描き手の意思が表されたものですから、漫画の絵は、それ自体、描き手の意思の塊な訳です。この理屈からすると、その絵から、意図を探るということもできるはず、です。
私は、この意図を探るという作業が、人の頭の中を透かして見るような気がして、ものすごく好きでして。

漫画において、描かれた絵からその描き手の意思を推測したり、考えた上で描かれたことが感じられる絵をみるのは、面白いです。
ものがたりをひとつ掘り下げて理解できたような心持ちが、私なんぞはします。それは気のせいですか、そうですか…。


ということで、なんともまとまりがないですが、唐突に締め。
今回は、こういう読み方をしてもいいじゃない、私だもの、という話。
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日常と非日常 [アニメーション]

いきなりですが、そんな訳で、試験前という非日常から、日常へと戻って結構経ちました。

…と思ったら、先日イカれたモニタに続いて、今度は本体の内蔵のHDが虫の息になったようです。起動のたびに、壊れる危険性を知らせるメッセージが出てまいります。日常にも「ハラハラドキドキ感」(…表現が古臭い)がないとね、というどなたかの思し召しでしょうか?

こんな、「データが飛ぶかも(はぁと?)」…などという「ハラハラドキドキ感」は要らんのですよ。もっとすい~つなそれが欲しいのですよ。
だいたい、そのドキドキ感の正体を考えるに、パソそれ自体がいい加減買い替え時なので、今度のクラッシュ=買い替えな訳でして、非常に痛い、痛すぎる出費に思いを馳せた際に起こる、動悸・息切れ・めまいなのではないかと。
…今の私には、金銭という名の「救心」が必要なようです。

ところで、そうはいいましても、日常に戻ったのも事実です。
日常ということで、しばらく、その辺りをネタに話をしていきたいと思います。

で、今回は最近、観ているアニメーションの話なんぞを一つ。

「地球へ…」
懐かしい作品ですね。映像化作品を、一度だけ、観たきりで、内容をほとんど覚えていないため、じっくり観るのはこれが初めてです。
昔の、SFというのか、サイキックものって、壮大な話が展開していて、ビジュアル的にアニメーション化に向いていると感じます。「地球へ…」に限らず、昔の作品を再発掘して、若干手直ししたうえで、こういうふうに見せてもらえると嬉しい気がします。

ちなみに、私個人は、銀河系最強のエスパーと呼ばれ、その強大な力を持つがゆえに、しばしば苦悩する主人公ジャスティ・カイザードを描いた作品、岡崎つぐおの「ジャスティ」の映像化を希望しております。
…一度映像化されているみたいなんですけどね。未見なものですから。「ラグナロック・ガイ」はなぁ、30サタンの辺りの話は面白いんだけどなぁ。その後話が広がりすぎてなんか今ひとつ。

もう一つ蛇足を申しますと、私が通った小学校は、冬季に長距離走をさせるのが常でして、毎年、やらされておりました(遅い方ではなかったので、苦にはしていませんでしたが)。

それで、その長距離走を走る際に、何故かBGMがかかるのですが、そのBGMの定番の一つが、昔バージョンの「地球へ…」で使われていた曲でした。
そんなわけで、私は「地球へ…」と聞くと、とりあえず長距離走を連想します。

 

「あらいぐまラスカル」
これも懐かしい作品ですね。ある世代以上からすると、あらいぐま=ラスカル。それくらい、印象に残りますね。一応、リアルタイムで視聴可能な時に生まれていますが、私が、物心がつくのがえらく遅い、頭の悪いお子さんだったためか、ちゃんと見るのは、今回が初めてかもしれません(ラストは知っているんですけどね)。そんな、作品をきちんと知らない私でも、あらいぐま=ラスカルは、頭にインプットされています。

クレジットを見て気付いたんですが、この作品の絵コンテ、富野由悠季(クレジットでは、とみの喜幸)が、結構担当しているんですよね。で、そういう目で見ると確かに、目の描き方が、「ブライトさん」しているのは、そういうことなのか?と妙に納得。…名作アニメーションを、変な見方して、申し訳ない。

クレジットということでもうひとつ。主人公のスターリング少年の声を担当している内海敏彦さん。
ちょっと調べてみましたところ、1965年生まれの方らしいです。当時、リアルに少年だったようです。そして、活動は、1970年代までのようですね(じっくり調べたわけではないです)。…大人になってから、名前を変えて活動されているかもしれないですが。
最近では、少年の声の担当は、女性がすることが多いので、今となっては結構珍しい感じがしますね。

蛇足ついでに書いてしまうと、少年の声の担当を、女性がやるというのは、日本ではかなり一般的になっているようですが、諸外国では珍しいのだとか。
私らにしてみると、少年の声を男性が「おっちゃん」な声でやられると違和感を感じる一方で、外国の方からすると、少年なのに声が女性というのが違和感だったりするんでしょうね。…何か、大仰な物言いですが、文化の違いを感じます。

 

「クレイモア」
妖魔から人間を守るため、妖魔の血を自らに摂りこみ、半人半妖の身(妖魔の血が入っていることで、恐れられつつも忌み嫌われてもいるという設定)となり、大剣をもって妖魔を倒す、クレイモアと呼ばれる集団のひとり、クレアを主人公とするものがたり。

粗筋の文章からお分かりかと思いますが、「バンパイアハンターD」と「ベルセルク」を足して2で割りつつ、主人公を女性化したような作品から始まりました。が、以降の展開が、独自のものになってますね(原作の話ですが)。クレイモアになるきっかけとなる、微笑のテレサとの出会いと別れの話が凄絶で、その辺りから一気に惹かれた作品。

…ですが、先日、仮眠しようと思って目を覚ましたら、うっかり見過ごしてしまいました。

そういえば、掲載誌の月刊ジャンプ、休刊となることが決定してますが(新創刊となる雑誌も決定している、という話ですけれども)、掲載誌を変えても、「ベルセルク」みたいに、アニメーション化を機に、人気が出そうな気がしないでもありません(願望込み)。

「The World of Golden Eggs」
蛙男商会の「FROGMAN SHOW」後で、「くだらねぇ…」(←褒め言葉)と、笑える作品に久々に出会いました。15分の短いアニメーションですが、こういう馬鹿っぽいのも、なんか良いですね。面白さが「しゃべり」にある作品ではないかと思います。
アニメーションってぇと、近時は、映像が凄いとか、そういったことに傾倒することが多いですが、面白いというのは、別に映像に限らなくてもいいじゃないか、と個人的に思っております。ので、こういう方向で面白さを追求するのも面白くて良いですね。

ちなみに、FROGMAN SHOW(の中の「秘密結社 鷹の爪」)には、こんなキャラクターが出てます。

 

レオナルド博士(左)と吉田君(右)

吉田君はさしてかわいい出来ではないですが、博士が可愛くてお気に入りです(かわいいもの好きなものでして、私)。とても、「オラッオラッ」が口癖で、かつべらんめえ調でしゃべったり、旅行先で現地妻を調達するキャラクターとは思えませんね。

ちなみに、こちらの人形、応募者全員へのプレゼントのものでして、「ムニュムニュ人形」だったかそんなネーミングだったのですが、実際の触り心地は案外硬めで、あまりいい感触ではないです。ぷにぷにした感触を期待していたんですが…。

「電脳コイル」
まだ始まったばかりなのでなんともいえませんが、ジュブナイルもの? いや、アニメーションは、基本、「少年少女」のものだろうといえば、確かにその通りなんですが、そうではなくて、…なんといえばいいんでしょうか、な感じがします。

主人公の妹のキャラクターが、まんま宮崎アニメ(というより、まんま「トトロ」のメイ)といった感があり、正直、私にはかなり鬱陶しく感じられて、気に入らないところがないでもないですが、アニメーションそれ自体は面白いです。
そういえば、この作品のキャラクターデザインや、作画監督をしている本田雄(ほんだ たけし)って、「新世紀エヴァンゲリオン」のOP担当していた人じゃなかったかなぁ、などと思ったりしたんですが、ちと調べてみましたところ、記憶違いではなかったようで。

ちなみに、この「電脳コイル」という作品、いつだったか、予告を見て面白そうと思っていたのですが、その後すっかり忘れていた作品。

で、マイミクさんのトリュフさんが日記で書かれていて、さらに、NHKで特番組んで初回を再放送した関係で、視聴することになった作品。トリュフさん、記憶を喚起させていただきまして、ありがとうございます。

ちなみに、6月16日(土) 午後3:00~5:00 教育テレビ にて「電脳コイル」の1~5話を一挙に再放送の予定だそうです。

ということで今回は、30過ぎのおいちゃんが、アニメーション見まくりなのはどうなん? いや、でもですね、今期は珍しく見ているものが多いだけなのですよ、と言い訳したいのですが、「今期」なんてぇ言葉を使っている時点でアウトな気がしないでもない、という話。

追記:
日常・非日常という言葉に関連して、「日常の中の非日常」ということでひとつ。

先日、久々に実家に顔を出しましたところ、実家で近いうちにワンコさんを飼うことになりそうだという話が。
母が先代ワンコさんが亡くなったときに、「もう犬は飼わない!」というくらいに落ち込んで以降数年、そういった話はなかったのですが、縁あって、子犬を貰うことになるらしいです。

「ペットロスには新しいコを」と思っていましたので、まあ、よかったなぁと。
先代ワンコさんも、肩の荷が下りたと思ってくれる、といいなぁ。あまったれなコだったから、やきもち妬くかもしれんけど。

次回は、最近読んだ、日常漫画をいくつかテレテレと紹介できれば、と思います。


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誰かに同意してほしい、8マンの話 [アニメーション]

先日私は、SMAPが歌っている、FLET'S光のCMソングを耳にしました。

で、「おっ?」と思い、相方に「この曲、知ってる?」と尋ねたところ、
あっさり、知らんとの返事。

8マンの主題歌は、現代人の基礎知識に入っていないんでしょうか?
そして、その曲が、今は解説者になっている元巨人の原辰徳の応援歌だった(彼の現役当時の背番号「8」にちなんでのものと思われる)という予備知識は、現代人には標準装備されていないんでしょうか?

ということで今回は、ちょっとジェネレーション・ギャップを感じた、という小話でした。


アニメーション見て泣くとは… [アニメーション]

年なんでしょうかね。
最近、精神的に不安定なのも手伝っているのかもしれませんが、涙腺が緩んでいるような気がします。

思わず、泣きが入ってしまったのは、今、教育テレビで放送している「ふたつのスピカ」の、3月2日深夜放送の回(第5話「おかあさんの顔」 )。
毎回きっちり見ていた訳ではないんですが、今度からきちんと観ようかと考えてしまいましたわ。

漫画が先行していて、アニメーション化の際に、本屋でやたら平積みされていたのは知っていたんですが、絵柄でハネてしまったことに後悔しました。

私の場合、アニメーションを見てから漫画に入る、ということはまずないんですが、
(ちなみに、その理由は、アニメーション化より先に、その漫画を当然のように読んでいるから、「何をいまさら…」という場合と、アニメーション化される作品の大半が、まったくもって私の趣味に合致しないから、という場合に二分されます。
考えると、自分がつくづく「アニメ畑」ではなく、「漫画畑」にいる人間だと感じますね。自分の中のイメージでは、「漫画畑」が小作農の耕作面積くらいだとすると、「アニメ畑」はプランテーション1個分くらいですね。…「畑」じゃなくなってますが)
今回は、やられました。原作を非常に買いたくなってしまいましたわ。

そんな訳で、今回は「年取ると、涙もろくてやぁねぇ」という話と、毎週の楽しみがちょっと増えて嬉しいなぁ、という話でした。


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「プラネテス」最終話の些細な1コマ [アニメーション]

先日、「プラネテス」の最終話の放送がありました。

その中で、「地球外少女」ノノと、ハキムが相対する場面がありました。
あの場面、ノノの立っている所には光が当たり、
一方ハキムの立ち位置は影になっていたことにお気づきの方はいらっしゃったでしょうか?
そして、短い会話の後、ハキムは、「今更、主義主張は変えられない」とばかりに、さらに深い闇の方へとフェイドアウトしてしまいます。

この場面、私は制作者が背景に込めた意図を少し読み取れたような気がして、ちょっと嬉しかったです。

「背景も心情を表現する」という、良い一例のような気がします。


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