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コミティア102に(一般)参加しました(2) [オフ会・イベント参加]

前回の続き。「疑似版画画法」の話のあとからでしょうか。 

スクイテンのモノクロの描き方として、ギュスターヴ・ドレなどから影響を受けたというのか、西洋版画のような描線を重ねていって、濃淡を表現しているのですが、その描線の手間のかかり方から、それと前回触れたカラーにもかかるところですが、刊行ペースの話になりました。

手のかかるページについては、1枚1週間のものもある(スクイテン)、とのことでした。
浦沢は「そりゃあ、こっち(日本)の漫画の刊行ペースじゃ真似できないよ」という表情でした。で、日本の刊行ペースの話として、週刊漫画の始まり(「できると思えないが、とりあえず、お試しでやってみよう」)から「サンデー」と「マガジン」がスタートして、いまだその状態であると、冗談交じりに(ちなみに、かなり初期の状態をご存知のちば先生も会場にいらしたので、話を振ったりしてました)話していました。
で、そのペースに間に合うように描いていたが、大友の出現で、詳細な描写もアリだろうと、それを描きたい人が増えて、ということで、作画に時間がかかるようになって刊行のペースに間に合わなくなって巻末に「今週は休載です」というものが、今、多く出てますね、という話をしていました。

※このペースの刊行かつ料金を考えると、カラー/モノクロの関係では、日本の漫画はモノクロベースにならざるを得ず、ただ、それゆえに大量の頒布が可能となっているのだと思います。 

日本の漫画とBDとの違いということで、刊行ペース以外にも話が及びました。
以前も聞いたことがあったのですが、改めて、日本における「編集者」の存在というのは、かなり特異なもので、BDの作家、特にペータースには、不思議なものとして映ったようで、かなり熱い質問を浦沢に投げかけていました。

まあ、実際のところ、読み手の方でも、編集の存在ってぇのは、よく分かっていなかったりしますけども。いうなれば、裏方さんですから、よほど事情に詳しくないと分からないのも当然ではないかと思いますね(無論、私もよく分かっていません)。
で、浦沢の回答をざっくりまとめると、以下のようになります。

編集にも、作品作りに大きく関与する人や、単に原稿をもらうだけのような人、いろいろいる。漫画家のタイプ、編集との打ち合わせを好まず好きに描きたいという人、まずはとにかく打ち合わせと打ち合わせを好む人、にもよる。漫画家と編集者との相性もある。
つまるところ、人間関係という言葉で集約できるものである。
で、漫画家と編集者で、いい関係が築けつつあるところに、編集は会社の人間であるので、「異動」というものが出てきて、一からやり直しにもなってしまうことがある…、とそんな話でした。

※この辺りの話を聞いていたとき、さいとうたかをのトークをきいたときか、またはTVで長崎尚志の話をきいたときだったか、両方か忘れましたが、漫画に携わるべき編集の理想というのか、は、会社の保護を受けるような会社員ではなく、フリーで、真剣勝負で作者と向き合える立場の人間が望ましい、といった話をきいたのを思い出しました。

で、かたやBDにおいては、作家=アーティスト、芸術家然とした評価がなされ、あまり日本における(理想の)編集のような存在はなく、すべてお任せのような状態にある(はっきりとそう明言してはいなかったのですが、暗にそのようなことを話していました)。すべて、作家が決めていくような状態であるので、外部の評価者、オブザーバーの存在は、日本式のようなものがそのまま持ち込めるかは別として、一考に値する、ということを話していました。

例として、面白かったのは、ペータースかスクイテンか忘れましたが(二人とも言及していたかもしれません)、ジュール・ヴェルヌには、まったく知られていないが、有能なオブザーバーの存在があって、その人の意見を求めたり、意見を対立させたりしながら、いい作品を作り上げていった…という話が挙げられていました。
浦沢は、ビートルズのプロデューサーの話を、例に挙げていましたね。ビートルズ単体では、そこまで有名になれたかどうか…、プロデューサーの存在が今の名声の一助になっていると思う、という話をしていました。

また、ペータース(確か)がさらに続けて、「ここで大事なのは、第三者の意見が、正しい意見である必要はないし、作家と第三者の意見が一致する必要はない」ということを述べていました。
最終的に、作家の意見が正しい場合もある。だとしたら、誤った意見は必要ないのか。否。それでも異なる意見を聞くことで、自分の意図が明確に意識され、より洗練され、確認していくことになるので、第三者の意見が出ること自体がいいことなのである、と。
作り手は作っていくうちに、それが正しいのか(or面白いのか)迷い、行き詰まり、よく分からなくなってしまうことがあるので、その確認ができるのはありがたいものだ、とも。

話題を変えて、次は先日亡くなったメビウスについての話になりました。
浦沢は、メビウスにがっつり魅了されていた人ですので、彼の作品・絵を見ると、「俺も描かなくては」と発奮するような、「心のガソリンだった」と述べていました。亡くなった今でも、彼の作品を見ると、その思いは変わらず湧いてくるとも。
また、浦沢は、フランスに行くと、メビウスの著作の棚の「ここからここまでの作品、全部ください」と言って、日本に送っていたというくらいのはまりようだった旨述べていました。

一方、ペータースは、すごく魅力にあふれた人物であったと話していました。メタル・ユルラン、アメリカにわたってからはヘヴィ・メタルにおけるメビウスに魅せられた旨も述べていました。

また、スクイテンは描く者の視点が顕著に出た話をしていました。
「気を付けなければならないのは、影響が強すぎるため、しっかり自分を保たないと、焼き尽くされてしまうような危うさがあった」と、そんな話をしていました。
たとえば、「『アルザック』の世界が素晴らしいと思っても、それを真似ることはできない。それは、彼だけが描ける世界だから。だけど、その素晴らしさに、ついつい引き寄せられてしまう危うさがあるんだ」とも。影響を受けすぎて、メビウスのまねごとに走ってしまい、自分を見失ってしまう危うさがある、ということでしょうね。

スクイテンの言葉を受けて、浦沢も一時期、メビウスの模倣に走った時期があり、「メビウスがあればいいや」と、なっていたことがあった旨、述べていました。

で、この辺りで結構な時間になりましたので、今回の企画についての感想を述べて締め、と相成りました。

ということで今回は、少しでも面白さが伝われば幸いです、という話。


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