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コミティア102に(一般)参加しました(1) [オフ会・イベント参加]

前回のコミティア101にも、一般で参加したのですが、トばしてしまいました。
それ以外にも、結構いろいろ行ったところとか、書きたいこともあったんですが…。

ともあれ、久々に漫画関連の更新になりますが、先日11月18日はコミティア102に行って参りました。

会場はこちら。

DSCN1213-2.jpg

ビッグサイトでございます。

今回は、急いで基本必ず伺っているところを伺って、という状態であったのと、伺おうと思っていたところが普段より少なかったこともあり、入手したものは少なめでした。

そして、今回の会場の雰囲気ですが、何故か、結構会場の入りが少なめだったような気がします。閑散としていた、とまでは言いませんが、混み合っていた印象はありませんでしたね。

話を戻します。急いで回るべきところを見て回ったのには理由がありまして。 今回の楽しみの主眼は、そこではありませんでした。

今回の、私の主眼はというと、

DSCN1215-2.jpg

これです。海外マンガフェスタのトークライブ。

BDの「闇の国々」の作者、ブノワ・ペータース、フランソワ・スクイテンのコンビのトークライブがあると聞いておりました。これを見るために、急ぎ回ったと、そういう訳です。
スクイテン。川崎市市民ミュージアムでBDの展示で見てすげぇ!と思ってから、何年にもなります。本人が拝める機会などそうありませんから、これだけは見ようと思っていました。
しかもトークの相手は、浦沢直樹でした。

とはいうものの、通訳を挟んでのトークなので、そう濃い内容にならないかなぁ、とも思いつつ、ただそれでも結構期待してトークを聞きました。

で、感想。
面白かったです。

話の要旨を書きますと、以下のような感じ。私のとらえ方・記憶に偏りや誤りがあるかもしれませんが、まあ、その辺は勘弁していただきたく(※のところは、私の感想というのか、トークを離れた余談になります)。 

まず出だしは、浦沢の「遊び心」の話からスタートしました。
両者の作品とも、シリアスなものが多く、真剣にというのか、真面目にというのか、で捉えすぎていて、ちょっとした作者のユーモアというのか、遊び・笑いの部分に反応されないといった話をしていました。スクイテンとペータースなどは、話を練っている最中、笑いながら作っているのに、真面目に捉えられているという話をしていました。

※この点について、別の作者の作品ですが、弐瓶勉の作品で、ユーモアというのか、遊んでいると思う箇所があるんですが(あの人のふざけた作品は、バカバカしくて笑えますけども)、これ、他の読み手はどう捉えるんだろう、真面目に捉えちゃうんかなぁ、それとも、読み方がよく分からないんかなぁ、と思った記憶があります。それに少し似ているかもしれません。某歌手などは、天才だなんだと書いていますが、その遊びの部分まで拾えているんかなぁ…。

で、遊び心という話のつながりから、パートカラーについての話に移行しました。
ほとんどモノクロなのに、4色を使う贅沢、ということで(もちろん効果・演出として効果的ということもあるのですが)遊びの部分もあるという話を、浦沢がしていました。

で、そこからカラーの話になりました。
BDの場合、基本、カラー作品ということもあって、カラーの選択というものは、意図を持って、選択しているものになります。モノクロにするのも、然り。理由があっての選択になる、というものになります。

一方、日本の漫画の場合、ご存知の通り、基本的にモノクロです(最近、Web漫画が出てくることによって、フルカラーも増えてきていますが)。
で、雑誌連載で一部、巻頭カラーなどがあります。この点について、ペータース(だったと思います)が、その意味を浦沢に訊いていました。浦沢の回答は、意味はない、と。それに続けて、しばしば言っているが、何故巻中カラーじゃないんだ? 巻頭4色を数ページ、次に2色を数ページ、その後凸版(モノクロ)へと続いて…。話の最初なんて、説明部分などで、あまり重要でないのに、そこに色を付けてどうする、それより、盛り上がってくる巻中をカラーにすべきだと、ずっと言っている、と。
そんな話をしていました。

で、続けて、カラーとモノクロの描き方って、頭の使い方が違う、そして、日本の漫画というのは、基本モノクロなので、カラーが苦手な漫画家も結構いるといった、モノ描き視点の話になり、モノクロとカラーとで、頭の使い方が違いますよね、と同意をスクイテンに求めたりしていました。

そうした中で、そういえば…、と。浦沢がスクイテンのモノクロの絵を見て感じていた疑問について、質問していました。スクイテンがしばしば描いている、モノクロの描き方はどうやって描いてるの?と。 どういった描き方かといいますと、線を重ねることで、濃淡を表す描き方です。たとえると、西洋版画のような感じですね。
この問いに対して、スクイテンの回答としては、ギュスターヴ・ドレ等(他に、もうお一方名前を挙げていましたが、私が知っているのが、ドレだけで、その場でもう一人の名前を記憶できませんでした…)の影響を受けているとのことでした(個人的には、デューラーの名を挙げてほしかったりしましたが、まあそれはそれとしまして)。
描き方に正式な名称はないが、いうなれば、疑似版画画法とでもいうべき描き方と言っていました。

そして、浦沢としては、その「疑似版画画法」は、明るいところから描いていくのか、それとも、暗いところから描いていくのか、その手順を知りたかったようですが、スクイテンとしては、あまりその順序が決まっているものではないようです。

※実際、その場でスクイテンは、さらさらと描いていましたが、思いつくままに、濃淡を描いていってました。即興で、なんであんなに描けるの?と思いました。いや、眼福眼福。その即興画、浦沢にプレゼントされていました。…羨ましい。

フォローとして、ペータースが、スクイテンのこのモノクロの描き方は、BDにおいて、従前はあまり描かれなかった特異な描き方で、「タンタン」のエルジェのようなデフォルメした、少ない描線で描くのが主流だった旨、述べていました。それが、最近は、描き方に幅が出てきて、いろいろな描き方がされるようになってきたそうです。
この辺りの流れですが、浦沢曰く、不思議と、日本の戦後漫画でもBDでも似通っているそうです(=日本で言うならば、手塚のような絵柄から、劇画が出てきて、それから大友が出て…、という大まかな流れ)。

で、その描線の手間のかかり方から、それとその前に触れたカラーにもかかるところですが、刊行ペースの話になりました。

ここまででも結構長くなりましたので、今回はこの辺にて。
次回は続きから参ります(勉強について、間に入るかもしれませんけれども)。


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