こういう基本的なことが抜けている…―近藤ようこと高橋留美子― [漫画]
今回は、ほんのちょっとした小ネタ。
最近、ゆえあって近藤ようこの「水鏡綺譚」(青林工藝社)を引っ張り出して少し読みました。
初見のときも思ったことなんですけれども、この作品、高橋留美子の歴史伝奇ものというのか、端的に書きますと「犬夜叉」って、この作品の影響受けたのかなぁ、という感想を持ちました。
実際、「水鏡綺譚」の帯の文章は、高橋留美子が書いているんですよね。
それで、さらに、「見晴らしガ丘にて」(青林工藝社)を読んで、さらに思いが強くなったことがありまして。
…アングルとか、1頁のレイアウトとか、さらには、コマをカメラに写った映像に見立てると、キャラクターまでの距離感が、似ているんですね。
視覚的な部分以外の点にも触れますと、題材が「水鏡…」の歴史伝奇ものといい、「見晴らしガ丘…」の普通の人を主人公に据えた現代ものといい、高橋留美子との類似性が見出せ、また、こちらは多分に主観的な感想なのですが、描きたいものの違いは明確にあるものの、何か根の部分が似ているなぁという印象を受けました。
とまあ、「何で似てんの? このお二人、どういう関係にあんの?」との思いを強くしたので、ひとつ調べてみました。
すると、簡単に理由と思われる事実が分かりました(以下、wikiの近藤ようこの記述を引用)。
…新潟中央高校在学中に同じく同校在学中であった高橋留美子らと共に漫画研究会を設立した事でも知られる…
なるほど。高校時代の同級生(同級生である胸の記載は、高橋留美子の記述にありました)で、漫研設立って…。そりゃ、影響あってもおかしくないわなぁ。
でも、マンガヨミなら、多分、基本的な情報だよなぁ、これって。
マンガヨミ歴の浅さがゆえに、こういうことが平気であるので、自分はバランスが悪いなぁ、とつくづく思います。
ということで今回は、バランスが悪くったっていいじゃない、俺だもの、という話。
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