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数学と私(2)―結城浩×日坂水柯「数学ガール」― [漫画]

前回からの続きになります。

…で、前回からの続きですから、早速、本題に入ってしまいます。
先日、私は結城浩×日坂水柯「数学ガール」(上)(メディアファクトリー)を読みました。

粗筋を申しますと、こんな感じ。
主人公は高校生の「僕」。数学好きのメガネ少年。「僕」は数学を愛している娘さんミルカさんに憧れている。
「僕」は、ミルカさんと日課のように図書室で数学の話をする。色恋沙汰の話はなし。微妙な距離感。
そして、そこに「僕」を慕う「僕」の後輩テトラちゃんが加わって…、という数学青春ストーリー。

数学を抜きにすれば、主人公の「僕」を中心にした、男1人女2人の妙な三角関係を描いたもので、ヴェクタ(=ベクトル。ミルカさん風に表記してみました)の方向も、まつもと泉「気まぐれオレンジロード」のそれに似ており、それ自体は真新しいものではないです。

ものがたりそれ自体を、興味深く思ったものではありませんで、私が面白いと思ったのは、その中で触れられている数学の話。


数学の話で、特に興味を引いたのは、素数とその定義の話(第2話)。
ご存知の方にとっては、当たり前でしょうけれども、素数は、1を含みません。ですが、その定義を見るに、なんとはなしに、「1を含まないようにするため」の定義というのか、ちょっと、1について不自然な定義づけをしている、ように感じられます(そ~でもないですか?)。
…ともかく、その不自然さを指して、キャラクターの後輩の女の子テトラは「そのrationale(=正当な理由)が分からない」といいます。

で、その含まない理由というのが「素因数分解の一意性のため」ということだそうで…。
さらにいうと、定義がそれ自体として意味があるのではなく、数学の世界を組み立てるのに、有用な概念を見つけ、それに名をつける。それが定義である、というんですね。

どういうことか。
すなわち、素数は、素因数分解に用いるための概念であり、素因数分解が厳格であるために、素数の定義が必要となる訳で、そのためには、素数は1を含まない定義である必要がある。だから、素数は1を含まない定義となる、とそういうことです。
定義に意味があるのではなく、他の数学世界を表すのに有用な概念であるから、そのように定義付けられる、ということのようです。

定義というものがどういうものか、考えてみれば当たり前なのかもしれませんが、この説明は特に、数学に興味が持てなくなる一因と関連して、妙に納得しました。
というのも、教科書などで学ぶ場合、いろいろな理屈をまとめた結果とも言える定義が先に来るので、この辺りがどうにも無味乾燥というのか、不自然であろうとも、「この定義を頭から覚えなさい」ということになりがちで、興味を持てなくなる一因になるように思えるからです。
…思い返してみるに、何故、その定義である必要があるのか、結論ともいうべき定義に至る過程って、あまりきっちりやらないですよね。


それで、この「定義がそれ自体として意味があるのではなく…」という辺りは、他の学問分野でも、同様のところがあるように思います。おそらく、私が浅くかじっている法律分野でも、同様ではなかろうかと。

どういうことかと申しますと、法律の場合、とある法律要件がありまして、その要件を充足すれば、ある法律効果が得られる。しかしながら、とある事例があって、その事例から法律事実を抜き出してみると、求める法律効果が得られる法律要件を満たさない…。ただ、それは、常識的に考えて不当である。「法は常識なり」という言葉からすれば、常識から外れた結論というのは望ましくないため、常識的結論を導き出したい。では、どうするのか? こういった場合、要件を付加するなどして、例外的なある条件下の場合には法律効果を認める、とか、要件を修正したりして法律効果を認めたりします。

この辺り、具体的妥当性を導くために、要件が付加されたり、修正されたりと、法律が適用される「世の中の有用性のため」に、法律の要件が定義付けられるというのと、数学の概念の定義づけというものは、似ているように思いますが、いかがでしょうか。

この、他の学問と同じ若しくは少なくとも類似性はあるという辺りから(特に、法律とちょっと似たようなところがある辺りで)、数学に少し親しみを覚え、かの学問と私の距離がちょっとだけ近くなったような気がします。
…それは気のせいですか? 確かに、そうかもしれません。いやいや。


また、ここでは、定義の重要性も語られます。定義がしっかりしていないと、誤解が生じたりするため、定義はできるだけ厳格にすべきである、と。
これ、哲学で似たようなことを聞いたことがあります。ある概念について議論するのに、その概念とは何であるか、定義が曖昧では、何について議論するのか、その対象が明らかになってこないため、ある概念をまずしっかり定義付ける必要があるのだとか何とか…。

この定義の重要性から、余計なことを考えますと、数学には、世界を表すのに、明らかに限界があるのか?と感じたりするのですが、気のせいでしょうか。
というのは、定義付けられないものは、表しきれないことになり、この世の中に存在する非言語や非論理に属する世界については、数学の世界では表せない、ということになりそうだからです。

ただ、もっと高度化した、先端の数学まで行くと、違うのかもしれませんから、なんともいえません。
カオス理論などという言葉も耳にしますし。…悲しいくらいに乏しい知識の入った頭脳しか持ち合わせていませんので、それ以上のことはよく分かりませんけれども。

その辺りはさておきまして、上記のような感じで、他の学問との類似性を感じるということは、少なくとも、数学という学問は、何か俗世を離れて、独立し、また遊離しているような学問ではなく、ひとつの学問として、自分のいる世界とリンクしているんだなぁ、と妙な実感が湧いたりしてきます。この年になって、いまさらの感はあるのですが…。


あと、もうひとつ気に入ったエピソードとしては、いろいろな式(方程式、恒等式、定義式)について語られているところがあります(第5話)。
数式は、誰かが自分の考えを伝えるためにを書いたものである。そして、数式というメッセージを送っている人の意思を読み取ろうと、「僕」は数式に向き合う、といったことに繋がる話ですね。

…この辺りも、杓子定規というのか、血が通っていない印象を持っていた数学に、数式を数式を考えることは、書いた者との一種コミュニケーションを取ることになるということから、血肉が通ったような、そのような気がして、ちょっと親しみが湧きました。
…やはり、気のせいでしょうか?


私が読んだのは原作小説ではなく、漫画ですから、作品のビジュアル面についても、少し触れておきましょうか。

いきなり書いてしまいますが、描線の筆ペンは失敗のように思います。
はっきり言って、別段効果的でもないですし、また、上手さも感じません。むしろ…、いや、これ以上は書きませんけれども。

印象に残る描写として、ひとつ挙げておきたいのは、キャラクターの目が印象的でしょうか。
微熱を帯びたような目つきで、何というのか…、ちょっとエロいです(いや、好きなんですけどね。こういう感じの描き方)。
そちらの方の出、なんでしょうか。…などと思って、ちと調べましたら、同人誌ではそちら系の話を描かれている(百合モノとか)ようですね。

…個人的に、あまり男子ウケはしないような気が。微妙に、ポイントを外しているような印象があります(具体的に、どこがどうと指摘できないので、直感的な印象でしかないのですが)。…そうでもないんかなぁ。こういうの、好みの方、いらっしゃるかもしれませんね。余談ながら、私自身は、この系統の絵に、エロティックな意味で、惹かれるものはないです。…私は一体何を書いているんでしょうか。

気を取り直して、エロっちいというのはさておきまして、実際、作者の日坂水柯、目の描写に力を入れているのだと思います。点目でもない限り、トーンを貼り、顔の他の造作は比較的シンプルというのかさっぱりとした描き方してますし、明らかに、目には時間がかかっているように思います。

また、特にカラーのときに感じるのですが、既視感があります。目の描写は、二宮ひかる辺りの影響を受けたような描き方だからではないかと思うのですが…(いうほど、二宮ひかる知りませんけども、私)。他のところで、読んだこと、あったかなぁ。よく分かりません。ただ、既視感は確かにあるんですね。
また、別のところでは、崩した絵柄のときの点目の描写なども、妙に既視感を覚えます。こちらは…、誰に似ているんだろう。思い浮かびませんけれども。


とまあ、絵柄としては、少々不満がなきにしもあらずなのですが、前回のエントリで触れたコラムを書かれた方同様、私も、数学の面白さにもう少し…、否、「少し」ではない年齢になっておりました。もう20年くらい前に、気付いていれば、もっと楽しく授業が受けられたのになぁ、と残念でなりません。
別に、私と同じポイントではないと思いますが、数学を苦手とする人が御覧になれば、何か、数学について面白さを感じられるように思います。そういった方、ご一読されてみてはいかがでしょうか。

ということで、今回は、数学の楽しさに触れてみないか?という話。

追記:
毎回毎回視聴しているわけではないのですが、深夜に放送している「コマ大」などを見ても、数学はなかなかに面白いものと感じますね。…何で、学校の授業はあんなに面白くないんでしょうか。そこが新たな疑問として浮かんできます。


タグ:数学ガール
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アリス

私も数学なんて、全然できない生徒の一人でした。
それが悔しくて、理系の生物を取ったりしたんですが、全然だめでした
ただ、デジタル時計を、ぱっと見たとき、ぞろ目や、きれいに数字が並んでると、お、美しい、と思いますが、それ以外、美しいと感じたことはありません。
同じ学年ではないですが、同窓生の小説家小川洋子さんがそれに関する小説を出していますが、確かに、数学のできる子たちがごろごろいる学校でした。

法律の世界も、数学と似て、私の理解の範囲を超えるところにあります、、、。


by アリス (2008-12-24 02:10) 

粋狂

>アリスさん
私は、理数系のうち、数学&物理が特に駄目でした。高校生の当時、100点満点中、自分の年齢くらいしか点数取れませんでしたから…。

他の教科は、地学にはあまり興味が湧きませんでしたが(「モホロビチッチ不連続面」などという名称の響きは、楽しかった記憶はあるのですが…)、化学はそこそこ、生物は結構好きでした。

地学を除くと、比較的抽象的なものや、数字・計算が関わるものが苦手だったように思います。…即物的だからでしょうか、何か見えるものには、そこそこ興味を持てたようです。
化学は…、計算は比較的あるものの、結構、実験をやっていたようなことからか、それなりに楽しんでいたように思います。


法律関連の学問は、突き詰めていくと、かなり小難しく(というよりも、「小」など付かず、非常に難しく)なっていきますけれども、社会があれば、そこにルールができる以上、「法」というものが出来てきますので、非常に身近なものです。

ですので、案外、当たり前の話を展開したりしますので(ちょっと勿体付けているというのか、偉そうなのがちと難ですけども)、入ってしまえば、予想外に敷居は低かったりしますよ。

また、「法ができる」ということは、その社会にその法律が必要だったわけで、その世の中の流れというのか、「歴史の所産」のようなところがありますので、歴史に興味がありますと、(学ぶ法律にもよりますけども)ちょっと法律にもロマンが感じられたりします。

…法律をかじる者としては、法律は知るのは面白いですよぅと、申し上げたいのですが、法律に関して、面白い話ができる引き出しが自分にないのが、口惜しい限りです。
…いや、前職の経験から、「公には出来ないような話」はあるのですが。
by 粋狂 (2008-12-24 20:10) 

みけにゃん

まったく中身(数学)には触れてないコメントでもうしわけないのですが。
「二宮ひかる」というか「氷室芹夏」「シギサワカヤ」に似てると思いました。
って書きたかっただけなんです。
by みけにゃん (2009-02-11 13:48) 

粋狂

>みけにゃんさん
いや、コメントをいただけるだけで、十分ありがたいです。
多少なりとも関連する雑談・余談、歓迎でございます。

氷室芹夏…。確かに、似ているかもしれません。
シギサワカヤは、名前はどこかで見かけたことがあったのですが、未読でしたので、検索で画風(というのか、単行本のカバー表紙)を少し見たのですが、…絵自体は、シギサワさんの方がかなり上手いように思いますが、エロさ、…否、「雰囲気」が確かに似通っている感じがしますね。
by 粋狂 (2009-02-12 07:01) 

みけにゃん

まぁ、3名とも「雰囲気(エロ)」が似てるってことですね(笑)

by みけにゃん (2009-02-14 13:05) 

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