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「3月のライオン」から、行政書士試験(特に記述式)についての考察へと展開してみる […試験]

上げ損なってしまったので、随分と前になってしまいますが、先日、羽海野チカ「3月のライオン」(白泉社)の第2巻を読みました。

…最新刊は、3巻ですね。
今回のエントリの本筋からは外れてしまいますが、せっかくなので、3巻についても。
読んでいて思うのは、やはり羽海野チカは上手いなぁ、ということでしょうか。
なんというのか、既に結構多くの人物が登場しているのに、「出てきたはいいけど、…何で出したんだろう?」と感じさせないためです。各キャラクターが立っているなぁ、と。
…この辺り、当然といえば当然で、どなたの、どういった作品でもそう描いて戴きたいものではあるんですけれども、案外、そうではない作品を見かけるような気がするものですから。

ん~、何か他に「上手いなぁ」というところを的確に指摘できればいいのですが、…駄目だ。上手いこと書けません。
もっと具体的に何かあるように思うのですが、抽象的に、バランスの良さであるとか、そんなことくらいしか書けません。

…もっとも、上手いなぁ、と書きつつも、将棋の描写自体は、「ハチワン」の方に分があるように感じます。将棋の熱というのか、勝負の緊張感やら、「将棋そのもの」の描写という意味においては、「ハチワン」の方が、よりダイレクトにかつしっかりと将棋を描いていると感じます。
「3月の…」も、将棋の描写が少ない訳では決してなく、むしろ結構見受けられるのですが、何か描かれている分量以外のところで、顕著に違いがあるように思います。

この辺り、多分、作品で描きたいものが違うのだろうなぁ、などと私なんぞは思うのですが、いかがでしょう。「ハチワン」は、より将棋そのもの寄りで、「3月…」は、将棋というインターフェイスを通して、将棋そのものとは違う何かを描きたいのかなぁ、などとテケトーなことを思います。 

どうでもいいことですが、その多くのキャラクター中、この巻になり出てきた、島田八段が個人的にお気に入りです。
島田八段を見ると、とても他人とは思えないからでしょうか…。
いや、人間性とか、内面ではなく、純粋に外見が…。痩せて頬こけてるし、デコ上がってるし…。余談ながら、私に関しては、さらに背がちっこいので、外見的にはもっと可哀想なことになっています…。加えて、内面は、身長に見合って小さいですし…。我ながら、書いててヘコミますね…。


そういえば、羽海野チカといえば。
以前、深夜アニメーションで「東のエデン」が放送されていましたが、それのキャラクター原案を羽海野チカがやってましたね。
偶然、頭から見られたので、引き続き見ましたが、面白かったです。

ただ、惜しむらくは、TVシリーズで完結しなかったこと、でしょうか。

「この後はWebで、否、映画館で」と、他メディアへのヒキを入れてしまったのはなぁ…。私は基本、こういう形にされるのが嫌いです。

ある漫画の最終回で、「この後は映画館で」といった感じのものが昔あったのですが、心底、興醒めでした。私は映画(しかも実写…で、結局そちらでも完結した感じではなかったようで…)が読みたいんじゃなくて、漫画が見たいんだと。他メディアに最も重要なところを譲るんじゃないと。
…「漫画は漫画で完結している」とも言われているようですが、あれで納得するものなんでしょうか。もう随分昔のことで、ほぼ忘却の彼方へ行ってしまっているのですが、読んだ当時、あれで完結しているとは、とても思えませんでした。私の読み方が悪いんかなぁ…。
自分がいちゃもんつけているような気分になってきました。いや、その後が他メディアにというカラミがないものでしたら、他にも「これで完結?」という作品がない訳ではないものですから。

いいや、続けてしまいます。
サイドストーリーや、スピンオフ作品を他メディアでというのは、別段問題ないんです。それが本筋ではないですから、それを見ずとも本筋の把握・理解に、基本的には問題ない(それらの傍流を見ておけば、より一層理解できるし、楽しめるでしょうけれども)からです。そうではなくて、本筋を他メディアへ移してしまうというのは、どうなんでしょう。
個人的には、ファンを蔑ろにしているように感じます。金づるくらいにしか思っていない、ともいえるでしょうか。

同様に、最近、連載の最後の頃になって、残りはWebで、という漫画作品をたまに見かけるようになりましたが、これもなぁ…、と思います。「紙」で読みたいんですけど私、と申し上げたい。
言い出すとキリがなくなってしまいますが(打ち切りはやめて欲しい、という話にもなってしまいますから…)、最後の頃に掲載誌を変える、ジャンプのアレも、やめて欲しいものです。必ずしも単行本で読んでいるわけではないですし、単行本を買うほどではない場合、移った先の掲載誌までチェックしようとまでは思わないことも多いですし…。困ったものです。 


また、話がそれてしまいました。話を戻しまして。

それで、2巻です。
2巻の中で特に興味を持った箇所をピックアップしてみますと、こんなシーンがありました。主人公桐山零安井六段との対局のシーン。負けたからといって、逆ギレするのはいかがなものかと思うのですが、そこではなく。主人公が安井六段の逆ギレを受けて、叫ぶところ。

弱いから負ける、弱いのが悪い、勉強をしてない…。

これ、本当にその通りだと思います。
資格試験に、そのまま当てはめるのは適当ではないのかもしれないのですが、概ね同じ、少なくとも似たところはあるのではないか、と思います。

今回は、この辺りを中心に書いてみようかと思います。…前置きやら、脱線やらで、ここからようやく本題です。
その本題、行政書士の試験を中心とした、法律系の資格試験に関連する話になりますので、興味のある方は、以降を御覧になって下さい。
記述式に関しては、かなり後の方に書いてありますので、即物的にそちらを御覧になりたい方は、その辺りから御覧下さい。…ただ、記述式のヤマであるとか、即効性のある勉強法などを書いているわけではありませんのでご了承下さい。

先に申し上げて起きますと、私自身も、最終的に目指している資格試験を合格していない駄目人間ですから(というか、諸事情から、受けようと思っていた来年=最後の年は、受けられそうにない状況になりましたので、過去形にしてしまった方がいいかもしれません)、偉そうなことを言える立場ではないことを重々承知しながらも、申し上げます。

すべき勉強を、きちんとやっていない奴ァ、合格できないし、合格した人から見ると、多かれ少なかれ、合格しない人には何か足りないものがあるのが見える、のではないかと思います(ギリギリで不合格の人の場合、必ずしも決定的に何かが足りていない訳ではないと思いますけれども。強いて言えば運が足りない、でしょうか。ただ、ギリ不合格の方も、やはり多少何かミスがあっても合格するだけの余裕がない以上、「何かが足りない」といわれても、反論はできないかと思います)。

いきなり何の話かと思われるでしょうけれども、実は、以前、行政書士の試験について、ちょっとした相談を受けたのですが、その方の話を伺うに、その方の勉強には、足りないものがあるように感じたことがありまして。

「試験が年々変化しているので、今回(=2008年の本試験)はそれに対応できなかったのだ」と、話を聞いた印象から、その方は概ねそのような感想を持っているようでした。
しかしながら、私が感じたのは、その方の場合、「やっていないのが分かる」というのとは違うのですが、「やり方が間違っている」ように感じられました。

…いや、やり方といっても、勉強方法※それ自体は、形式的にはおそらく間違っていないのでしょうけれども、そういった勉強を通して、知識として身に付けなければならないものを理解していない、つまりは、「行政書士としてやっていけると認められる(=試験に合格する)ために、何を身に付けなければならないのか」が、分かっていないように感じられました。

勉強方法の形式は間違っていないけれども、理解しなければならないところ、習得しなければならないところが分かっていないというのは、外観からは違いが判別できず、なんとも観念的というのか、分かりにくいものなのですが…。


※余談ながら、法律系の資格試験に関するオーソドックスな勉強法と私が考えているものは、当該資格試験の出題範囲のテキストを読んで知識のインプットを行い、過去問(やそれに類する問題集)を通してインプットした知識を確認しつつアウトプットを行う、というもので、インプット及びアウトプットの両輪をバランスよく行っていくことになります。


これは、法律の勉強全般にもかかわってくる話なのですが、法律を勉強するというのは、単純に条文を暗記するというものではありません。
いや、確かに、法律の条文にも、重要なキーフレーズはあるので、言葉それ自体を覚えなくてはならない、いわば暗記に近いものも一部にはあります(また、試験によっては、より単純に試験の出題範囲となっている法条を覚えることが基本という試験もありますけれども。ただ、少なくとも、行政書士試験はそうではないように思います)。

ですが、その暗記するということがすべてでは決してなく、表面的な字面だけでない、その法律にある背景や理念、趣旨・目的の存在を意識しないといけないように思います。加えて、行政書士試験の場合、法的思考力も試されているように、私は思います。

先の方は、これに気付いていない、ように感じられたんですね。
この辺りを理解していれば、もっと安定した成績になるはずなので、合格により近くなるのに…、と思った訳です。


まず、細かい知識ではなく、根幹にある法律にある背景や理念、趣旨・目的の存在を何故理解しなければならないのか、というのは、以下の理由からです。

試験の問題等を通して、細かいところ、ポイントとなる箇所を覚える。これも、いくつかの意味で大事ではあるんです。
ですが、そういった細かい箇所が少々抜け落ちても、その根本理念が頭に入って入れば、細かいところは「おそらくこうなるのでは?」と推測できるようになります(…多分)。また、仮に、ある根本原理から派生する各論の諸問題が5つあるとして、ひとつの根本原理をひとつ覚えるのと、各論を5つ覚えるのとで、どちらが頭の使い方の効率がいいのか、と考えてもいいですね※。

※というものの、根本原理などから、各論の知識をすべて推測しながら答えを解いていくというのは、正直難しいです。やはり相互に関連付けて、原理とそれに基づく派生する各論を覚えていくことが必要となってきます。
しかも、根本原理というのは、抽象的であったりするので、派生する具体的な各論から根本原理のイメージというのか、輪郭をつかむのも、実は大事だったりします。そういった意味で、細かいところをきちんと勉強するのも、おろそかにできないものではあるんです。
原理・原則と各論的な知識、これらも知識のインプット・問題演習のアウトプット同様、相互に関連した両輪で、どちらも重要なものといえます。
ただ、より重要なのは枝葉である各論知識なのか、それとも根幹となる原理・原則なのかといえば、答えは明らかで、どちらを忘れてはいけないのか、というくらいに思っていただければと思います。

それで、各事例であるとか各論をひとつひとつ覚えるよりも、それらの根本にある原理・原則を押さえてしまえば、基本的には、その根本から派生した各論・各事例は、その事例が仮に見たことのないものであっても、「原理から言えば、こうなるのでは?」という推測ができる、ということになります。

これができるようになりますと、今度は未見の問題の対処が可能となります。試験の問題は既知のものだけ出ることはありませんから、やはりその推測ができるようになるというのは重要ではないかと。
「原則はこうなのだから、この肢は勉強したことはないけども、こういう結論になるのではないか?」という感じで、試験の各肢を検討できるようになるのは、ちょっとした違いではあるんですが、結構な問題数を解く中では、合否を分けるくらいの違いにはなってくるように思います。

また、もっとマクロな視点から言いますと、この根本の原理・原則を理解・習得(ここで、追記しておきますと、この原理・原則は、一部はその上位の概念として、不文の原理となっていることもありますが、その多くは条文という形に、集約して示されています。なので、条文が重要ということになります。法律系の資格試験の勉強で、条文から離れるなと言われることがありますが、この辺りを指したものではないかと思います)し、各事例(試験においては設問)への適用を検討して、結論の推測が立てられる。これは、法律の理解の本質ではないか、と私なんぞは思います。そしてこれは、後述しますが、法律家として習得しなければならない、法的思考力の基本ではないかと思います。

…いや、私も法律の理解について、半人前にすらなっていませんから(無論、行政書士試験に合格した人間が皆、半人前にすらなっていない程度にしか法律を理解していない、という意味ではなく。私は、試験に合格したところで、あまり法律に精通しているといいがたいと感じているもので、あくまで私自身については、ということです)、えらそうに、法律の勉強がなんたるかなんて言える立場ではないんですけども!
それは十二分に分かっていますよ? いや、本当に。

ちなみに、件の相談をされた方の相談は「具体的な方法として、何を使って勉強したらいいのか?」というものだったのですが、そうではなくて、もっと根本的なものなんだよなぁ…、と私は感じました(やる気をなくさせるつもりはありませんから、ご本人には、そう明言はしませんでしたが)。


話を若干変えて、行政書士試験に関して、より具体的な話もしてみましょう。

行政書士試験において、法律科目の最重要分野で主要分野でもある科目は、憲法・民法・行政法であるのは、少し勉強してみれば分かるのですが、行政法は、正直、取れるところと取れないところがはっきりしていて、ある程度得点できるようになれば、それ以上は望めないように思います。少なくとも、勉強に費やした時間の分だけ得点につながるかは、微妙ではないかと(疎かにして良い訳ではないのですが、時間のコスト面で、パフォーマンスが悪い、ということです)。…地方自治法なんて、最低限取らなくてはならない点数はあるでしょうけれども、安定して何点も取れるものなのか?と、私自身は思いますし。

なので、得点を伸ばすなら、憲法及び民法なんですね。
件の方に関しては、憲法については、伸びしろがあると本人も思っていたようなので、このように勉強して詰めてみてください、というのは納得してもらえたのですが、民法については、…本人は目一杯やっているので、これ以上は…と思っているようでした。
ですが、私から見て、明らかに足りていない、ように感じられました。

主に、記述式がネックになっているように感じられたのですが、「記述式は、運が良くないと取れない」という、この辺りの認識は改めた方がいいように感じましたので、その旨伝えましたが、本人は納得できたでしょうか。あれは、「運不運の問題などではない」と気付いて欲しいのですが…。


丁度良い機会ですので、記述式については、何年も前に「予想」を書いたきりなので、この機会に書いておこうと思います。

何度も書きますけれども、司法試験をいまだに受験していて(実質的には、受験を諦めたといってもいい状態ですけれども)、合格もしていない私のごとき奴ばらが、偉そうに語れることではないのは、自分でも承知していますが、「少し前にいる者」として書いたものが、少々何か取っ掛かりになるようかもしれません。
「そういう考え方もあるんだ」くらいのスタンスで、読んで戴ければ、と思います。

…自分で書いていて思いますが、司法を合格されている人から見たら、私なんぞも、全然足りていないところだらけなんでしょう。
そんな奴のたわ言なので、本当に、金科玉条とばかりに受け取らないで戴ければ幸いです。
…「騙された!」と抗議されても、責任取れませんし、私。

ということで、「今更書かれても、間に合うか微妙じゃねえ?」とか、より切実に「今更間に合わねえ!」、というものですが、行政書士試験の記述式。

今でもたまに、この辺りが気になる方がいらっしゃるのか、この件について検索をかけて、ご訪問戴いているようですので、概ね出題傾向が固まった感じですし(…でもないでしょうか)、古い情報のままではさすがに申し訳ないので、この辺りでひとつ書いておこうかと思います。

昨年2008年の試験問題を見ると、出題の法令は行政法1題、民法2題で、従前と同様。
で、変わったのは、民法で判例の言い回しを訊ねた問題が出たというところでしょうか。

難易度としては、…難しくは、ないような気がします。
実際、予備校などの見解では、記述式が取れないと、2008年は択一式が難しかった分、合格が厳しくなるのでは?といった感じだったようです。さらにその前の年と異なり、択一式が難しかったようですね。
まあ、試験のバランスを考えると、択一式のみで合格点に達することが可能というより、2008年の方が、バランスが良かったとも言えるような気がします。

「他人事のように言うな!」と思われるかもしれませんけれども(実際、他人事なんですけども)、ちょっと後述しますが、択一だけで合格されるのは、正直なところ、試験委員としては本意ではないように思われますので、やはりこれでいいのではないか、と思います。

それで、記述式について。
いや、ただ、特効薬というのか、こうすれば苦労なくできるようになる、というものではありませんから、「んだよ、そんなん、分かりきってるっつ~の」などとおっしゃらないでいただければ、と思います。…というより、そもそも勉強方法、といえるのかも分かりません。

択一式はある程度できるようになっても記述式が…、という場合、私が思うに、それというのは、単に知識がまだ浅いということなのでは、と感じるのですが、いかがでしょうか。
このように感じるのは、以下のような理由があります。


択一式というものは、出されている選択肢のいずれかを選ぶというものですから、受動的な解答方法、もしくは、消去法、最悪あてずっぽうでも答えが出ます。解答欄にマークをすれば、それだけで正答する可能性がありますし。
一方の記述式というものは、自ら一文にして書くということで能動的な解答方法。何がしかの法律的知識を頭から引き出して、それを短文にするので、消去法やあてずっぽうでは決して答えは出せないものです。

ここから分かるのは、記述式が書ける=法律(の知識)が頭にあって、それを引き出してくる能力があると評価できる、ということです。そのため、提示されているいくつかの肢から解答を選択する択一式より、一段上の理解が必要になってくる、ということです。

従って、試験委員としては、択一式のみではなく、記述式まで正解できる、法律を一段上のレベルで理解できている人材を合格させたい、となるように思うのですが…、いかがでしょう?


さて、その記述式に対応できるようにするための勉強法ですが…。

知識の習得の際の意識として、ある法律効果を引き出すために、「どの条文のどんな要件」が必要となるのか、ということが自分の頭に浮かぶように、重要条文中の、要件―効果というものを、意識して勉強していくことになるのではないかと思います。…なんの即効性もなく、ありがたみのカケラもない方法ですね。

…あ。ここで、勘の良い方や、2008年の試験を受けられた方からすると、「判例」の言い回しの問題は、直接的には「条文」の問題とはいえないのでは?と思われるかもしれません。

確かに、「直接的には」条文の問題ではないです。ですが、条文という要件―効果という原則があって、その例外を認める要件であるとか、条文の明文上には記載がないけれども、求める法律効果を得るためには、例外として、補足的にこの要件が必要となるとか、具体的事例に即した妥当性を引き出すために、例外を認める判例知識が必要となることがありまして、これもまた、条文ではないものの、限定的な条件下ではあるものの、「要件」のひとつ、ということで関連条文と併せて理解しておく必要があるものなのではないか、と私は思います(各論的な話をしますと、憲法の人権分野についての試験対策などは、憲法の条文のみで足りようはずがなく、判例の勉強が必須となることからも、その重要性は、ご理解いただけるのではないかと思います)。
判例の学習=具体的な法的紛争について妥当な結論を得るため必要となる、条文を補足する「要件」の知識の習得、といえばいいでしょうか。

この点、基礎法学の分野の勉強を兼ねて、学問的に、少し補足を書きますと、法源(=法の存在形式、くらいの意味に捉えて下さい)として最重要なのは、憲法や民法といった成文法であるのは当然なのですが、それだけでは、現実の問題に対応できない場合もあります。
その場合どうするのか? そういった場合、判例や慣習、条理といったものが、二次的、三次的な法源となります。

そういった意味で、判例は、成文法に準じるもの、法律を補充するものとして機能するものですから、法律に準じるものとして理解する必要がある、ということになります。重要とされる判例は、特にそうですね。

また、判例について学ぶ必要があるのは、一般的・抽象的な条文のみではその適用範囲が明確にならないところもあることから、関連条文の限界事例を把握するため、というものがあるように思います。大体において、重要判例とされるものは、その判例が問題となっている条文の限界事例を示していることが多いです。
この辺りから、私自身は、より具体的な事例に即した、法令の勉強の一種だと捉えています。

それで、2008年に出題された、民法の判例の言い回しを答えさせる問題を見るに…、これってぇのは超が付くといっていいほど、基本的な問題ではないかと。
いや、だってね、不動産賃貸借において、無断譲渡や無断転貸借を行った賃借人に対する解除権の発生(民法第612条2項)とその解除権の行使の制限なんて、賃貸借契約を勉強したら、絶対に学ぶところでしょう。

原則的には、賃貸人から賃借人に対して解除権が行使できるところ、「背信行為と認むるに足りない特段の事情」がある場合に、例外的にその解除権行使が制限される、というアレです。
余談ながら、判例のインパクトが強すぎるためと、不動産賃貸借において、しばしば要件が修正される理由である「賃借人保護」を強く意識してしまうためか、「背信行為と認むるに足りない特段の事情」がある場合が原則であり、解除権の行使は原則的にできないものである、と勘違いするくらい(無論、解除権行使が制限されるのは、あくまで例外です。原則、解除権は、本来の要件を充足すれば行使可能なものです)、賃貸借の分野において重要とされる判例ではないか、と思うのですが…。

そんなわけでして、稀に判例の勉強というと、判旨を読んでおくといういうことだけを意識される方がいらっしゃいますが、そうではなく、法律の条文とリンクさせずに独立したものとして勉強をする、というのは、ちょっと違うように思います。判旨を読まないことには話にならないですが、それだけでは勉強としては不十分ではないか、と思います。


話は変わりますが、リンクさせるということと関連して、記述式の勉強についてですが、私は択一用の勉強と分けて考えるべきではない、とも考えます。

すなわち、択一にしても記述式にしても、法律の知識の有無を訊かれているのは同じで、その訊かれ方が異なるだけですから、セットで理解するべきではないか、と思います(…司法の択一と論文も同じ、はずなんですけどねぇ…。私自身は、分けてしまってます。偉そうにいうなら、自分でも実践しなくてはならん、否、ならなかったですね)。

で、問題傾向から択一だけでなく記述式の習得が必要と考えられることから、さらにテケトーにうがってみるに、試験を合格するため、ひいては、行政書士に求められているもの、というのも見えてくるのではないかと。

では、行政書士には何が求められているのでしょうか?
私が思うに、それは、条文知識、基礎的な判例知識を、具体的事例に当たった際に引き出してくる、という、法律家として最低限必要とされる能力(≒法的思考力)※が求められている、のではないかと思いますが、いかがでしょう。

※具体的な事例(=顧客からの依頼。大前提)に当たった際に、法律の適用(=小前提)を考えて、顧客の求める法律効果である結論を引き出す…。これ、法的三段論法、というヤツですね。

さらに、この能力はどういうものか、具体的にイメージしますと、試験に合格した後で、行政書士として相談などを受けた際「それに関しては、(こういう条文や前例=裁判例、がありますから)(←括弧内は依頼人に説明する必要はないでしょうけども)、これこれこういう結果になるかと思いますよ」ということがあるでしょう。これではないでしょうか? …違う? あ、そう…。


少し話がずれますが。
資格試験というものは、受験者がその資格を有するに足りるか否かを判断するものなのですから、仕事を具体的にイメージできれば、何故、このような試験問題が出題されるのか(出題される科目を含めて)、少なからず見えてくるのではなかろうかと思います。

試験科目は、憲法は少々例外(ただ、行政書士の仕事のメインにかかる行政法の上位規範で、しかも法律家としては常識となる法規範ですから…)ですが、他は、業務に関する法律が出題されていますし、受験資格が基本ないですから、一般常識があるか否かを判断するため、一般知識を訊くことなります。ネット関連も、業務として増えてきているので、それに関連する常識的な知識が必要になります。
また、行政書士の業務は文書に関わるものですから、文書の作成も当然ながら、文書を読むことも必要となってきます。とするならば、試験で出題される程度の文章理解は、できなくては仕事にならない、ということになります。 

そして、依頼人が持ち込む相談に、似たようなものはあっても同じものはありません。その意味で、根本的なところを暗記に頼る勉強というのは、違うように思います。何かその法律についての本質を掴む必要があるのではないか、と思います。
それで、その相談内容から得られる事実から法律的な事実を抜き出して、望む法律効果が得られるか、その要件を検討し、さらには望む法律効果が得られる法律構成を考えるというのが、実務家の仕事のはずですから、法的思考力が要求されます。

法律相談に関するイメージとしては、法律相談を受ける弁護士に似ているかもしれませんが、それよりも敷居を低くして、「町の法律家」を目指しているのだ、という方向性とも一致しますので、上記の私のテケトーな感想も、あながちデタラメでもない、…のではなかろうかと思います。


ということで、重複する記述もありますが、まとめ。

上記のようなことから、私は、勉強(記述式を含む)は、マメに法律の条文を思い浮かべ、どこの要件が問題となっているのか、要件と効果、特に要件について意識して勉強する、ということが重要なのではないかと思います。
ものすごくつまらない方法の提示で申し訳ないのですが、あまり短期間にお手軽に得点できるようになるとは、正直考えにくいかなぁ、と。

また、基本的には、要件なんてぇものは、いくらでもありますから、記述式についてヤマを張るというのは、あまり意味がないかなぁ、とも思います。
ただ、直前期で、時間がない方は、各資格試験予備校の記述式対策の講座で「当たらぬも八卦」というのは、アリではないかと思います(いや、自ら出題されそうな箇所を探すよりは、出易いところを、的確にピックアップしてくれるでしょうから)。

ということで今回は、私のような者が、偉そうな話を長々とすいません、という話。
…えらく長く、しかも話があちこちに飛んで、まとまりのない、話が分かりにくいエントリになりました(頭の悪さから、長い文章を書くとまとまりがなくなってしまいます…)が、ここまで御覧戴いた方、ありがとうございます。


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